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『沈黙−サイレンス−』

監督:マーティン・スコセッシ 出演:アンドリュー・ガーフィールド リーアム・ニーソン アダム・ドライバー キーラン・ハインズ 窪塚洋介 浅野忠信 イッセー尾形 塚本晋也 小松菜奈 加瀬亮 笈田ヨシ

 

スコセッシは『タクシードライバー』は大好きだけど他はそんなに思い入れない自分なので、『沈黙』もあんまり期待してなかったのだけど、すごすぎた。長いのに全然飽きる部分がない。地味なのにすごい。最初から最後まで隙がない。すごすぎる。

 

原作読んだ頃は、遠藤周作の他の小説、たぶん『留学』だったと思うのだけど、フランスに留学中の日本人(遠藤さんモデル?)が結核になって「木の文明の人間には石の文明の世界はつらい」みたいなこと書いてあってうなづいたりもしたんだけど、今、この映画を観ると、昔とはいろいろ違うことを考えた。

 

「日本の沼地に負けたのだ」みたいな話も、「日本異質論」みたいなことは思わなかった。なんといっても、極右全盛で権力すら握る現代日本なわけだけど、その日本の言論というか思想というか感情というか世相というかそういうのをリードしているというか象徴というかそういう存在の曽野綾子さんがカトリックだし、ネトウヨさんに大人気の麻生さんもそうなわけだし。

 

お奉行さまがなんか言うたびに「曽野綾子さんや麻生元首相もカトリックですよ!下っ端のあんたよりずっとずっとステイタス上というか日本最上位クラスですよ!」てなった。

 

というか、曽野さんとかこの映画とかみてどうなんだろう。マイノリティのキリシタンたちの苦しみにシンパシーを抱くのだろうか。それともやっぱ曽野さんらしく、キリシタンたちに対して「分をわきまえろ!迷惑かけるな!」って思うのだろうか。過去にこういうこと語ったり書いたりしたことあるのかもしれないけど、それはそれこれはこれなのだろうか。

 

 

そしてやっぱ原作読んだ頃と全然自分の意識が違うのはマイノリティ問題。原作読んだ頃とは感じる切実さが全然違った。すごい今日的な部分を感じながら観た。塚本晋也さんがインタビューで「自分は特定の信仰とかないけど、自分の信念を上から押さえつけられることへの反発はあるからそれを考えながら。信仰とは限らないけどこういうことはいつの時代にもあるから」的な話をしててまったく同意。

 

 

そして、モキチの塚本さんがひたすらすばらしかった。みんな言ってるけど『野火』観よう。キチジローは原作の自分の中でのイメージだともっとどうしようもない容姿というかなんといか、窪塚さんだとやっぱどこか凛々しいかんじがあって、自分の中のイメージの「どうしようもなさ」があんまりなくて、そのへん戸惑ったけど、自分のイメージは置いておくと、窪塚さん普通によかったと思う。

 

 

ところで、宇多丸さんの映画評を聴いたら、映画の賛否両方のメールを読んでたんだけど、どっちもありがちというかテンプレというかしょーもない中二的というかそういうのでトホホすぎた。

 

映画が良かったという方は「登場人物たちを善悪で描いてなく受け取り方は観る方にゆだねてるのがいい」とかなんとかで、あーまたそれかよ、みたいな。信仰を理由に拷問処刑しまくってる公権力の人たちの描写を見ても善悪で描いてないとか思っちゃうわけですか。それ歪みすぎでしょう。信仰を理由に拷問処刑しまくってる人たちが悪に見えないって、それただ単に、「日本側」みたいなカテゴリーにシンパシーを抱いたのと、彼らを優秀で知恵を持つ人間として描いてるからでしょう。簡単なバカに描いてないからでしょう。こういうこと言うと「絶対悪かどうかはわからない。絶対悪とすると正義の暴走を招く!」みたいなアレなこと言うんだろうけど、いや、程度問題でしょ、と。あんた、圧倒的に弱い者が圧倒的に強い者たちに拷問虐殺されるの目の前で見たとしても、善も悪もない、とか言うのかと。あんたのこと今ぶんなぐったら悪いのはこっちであんたは悪くないでしょう。そりゃ、ぶんなぐったとしたらもちろん理由はありますよ、あんたの考えがトホホすぎてムカつくって理由が。だけど、あんたの映画のこの程度の感想を理由にぶんなぐったら圧倒的に悪いのはこっちでしょう。

 

そして、映画が良くなかったという方は「主人公が自分のせいで他人の迷惑になってるのに、自分の正義を振りかざして正義の暴走しててうざかった」みたいなやつ。あーまたそれかよ、と。「正義の暴走して他人に大迷惑かけまくってるのは信仰を理由に拷問虐殺しまくってる公権力の人たちでしょ!なんでそっちは余裕でスルーできて圧倒的暴力の前になすすべもない一人の人間の方が気に入らないって言いたがるのですか...歪みすぎでしょ」と。

 

いや、ほんと、両方ともおなじみすぎて創作かよと驚くくらいなんだけど、宇多丸さんだかスタッフだか知らないけど選んだ人はこの2つをどういう考えで選んだんでしょうか。晒しものにしたのか、良いと思ったのか、まあ、良いと思ったんだろうな。

 

 

あと、「日本でなぜキリスト教が...」的な問いだけど、超ド素人の自分の適当な想像だと、「日本の文化はー」とか「日本人の考え方はー」とかそういうのは関係なくて、当時の権力者次第だったんじゃね?と。映画の中で主人公も「いや、弾圧されるまでは日本でもキリスト教栄えてたじゃん!」と言ってたけど、実際そうで、もし江戸の将軍様が「みんなキリスト教にしよ!」って気まぐれでもなんでもいいからやって何代か続いてたら、普通に今でも少なくとも50%くらいはキリスト教徒だったんじゃね?と。余程の大弾圧がその後になかったとしたら。ようするに運次第じゃね?と。というか、江戸の将軍様が「みんなキリスト教にしよ!」ってやらなくても、そもそも、江戸時代の弾圧がなかったら、権力者が放置してたら、九州はもちろん、日本中でかなり栄えたんじゃね?と。

| 映画 | 13:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

KARAの音楽性や方向性について、なんか悟りの境地へ一歩づつ。

なんでSTEPじゃなくてウィンター・マジックなんだー!ジャンピンが日本でもイケたんだからSTEPなら絶対じゃん、最初から決まってたとはいえさー、てかウィンター・マジックより絶対売れただろ!

っていうか、

いわゆる「KARAのJ-POP路線どうよ?」的な問題について。



KARAが「反日」とかいう話。
http://sezam.jugem.jp/?eid=2701

KARAにはまって『けいおん!』の意味がわかった。
http://sezam.jugem.jp/?eid=2702


この二つで書いたことの繰り返しの部分もあるけど一応。

KARAファン歴一ヶ月の俺は、年末にたまたまSTEPのMV動画観て「うお!曲もビデオもくそかっこいい!」となりKARA関係の動画をいろいろ観て、「今年発表の日本向けの曲は、日本音楽市場的には、日本の街中曲としてはとてもいいと思うけど俺の趣味ではまったくないなあ(これは前から思ってた)。でも、他にもいろいろ好みの曲あるじゃん」となり、そこからさらにいろいろ動画観てたらすっかりKARAにはまってしまいました、ってなかんじで、基本的にはSTEPやLUPINあたりの「かっこいいKARA」から入り、昔のポップな曲いいのいろいろあるじゃん、となった。


そっからいろんな動画観て、KARAメン全員魅力ありすぎ、全員超好き、と。「推しメン(っていうんですか?)」みたいのない。みんな好きというかみんな「推しメン」。または「推しメンが高速ループ?」。一人一人を観る・聴く度に「やっぱこの人いいわ」と延々に?


芸能人にこういうかんじではまったのは生まれてはじめて。(ハングル学びはじめた。)

これまでは好きなミュージシャンでもCD買ってライブ行くくらいで、「この人たちをずっと見てたい」「この人たちが好き」みたいに思ったりはなかった。ライブ前近くのカフェにいたら隣の席にその超好きなミュージシャンが来たことがあったけどガン無視したし。あなたの音楽には興味あるけどあなたには別に、みたいな。

10年以上前に『ユリイカ』で宮崎あおいを観て「バケモノだこれが映画だ」と己の俳優観・演技観・映画観・芸術観がはじめて確立されるほどの体験をしそれから俳優宮崎あおいを観てきてるけど「宮崎あおい個人」には別にはまってないし(この人の「生き様」みたいなものには惹かれてるけど)。

まあそれでもKARAメンに直接会いたいとか握手したいとかまではまだまだ思わない次元だけど。ぬるくてすいません。でもカフェで隣にいたら邪魔にならない程度に「KARAファイティン!」くらいは言いたい。




話飛びまくった。音楽性の話。

そもそも、俺は基本的には90年代ブリットポップ(まあようするにイギリス・アメリカの(ギター)バンド中心)やいわゆる渋谷系(笑)(ピチカート・ファイヴとかフリッパーズ・ギターとかコーネリアスとか)あたりで育ったよくいるタイプの人なわけだけど(ようするに原点はビートルズやデヴィッド・ボウイ系)、KARAにはこういう俺にけっこうフィットするかんじの音楽がけっこうあるなあ、みたいな。


少女時代やその他のK-POPグループの場合は、たしかに曲もパフォーマンスも「クオリティ高いよなあ、すばらしい」とは思うけどこういう俺に「フィット」するってかんじはいまのところないんだよねえ。まだあんま知らんけど。無理やり枠にはめて考えれば、K-POPらしすぎ?なのかなあ?みたいな。(少女時代のinto the new world(いい曲だと思う)なんかは「枠」でくくればモロに一昔前のj-pop風のような気がするけど)。一部の韓国映画は俺に「フィット」しまくってるけど。

実はこのかんじ、KARAファンになる前からあって2010年当時も「ミスター」「ジャンピン」と「Genie」「Gee」を比べるとクオリティはみんないいけど、俺の好みからすると断然KARAだなあ、とは思ってた。特に「Gee」のかんじとかムリだなあと。声や歌い方の問題も大きいのかなあ。into the new worldなんかはなかなかいいと思えるところをみると。なんか小細工しすぎで、その小細工が俺好みならいいけどそうじゃないってかんじなのかなあ。


「らしさ」でいえばKARAって昔からK-POPらしさは他と比べるとやっぱり薄いかんじというか例外感があるというかちょっと違うかんじがあるような気がするのは俺だけでしょうか?(だからこそKARAは日本でもイケるかもって話になってトップで日本に来くることになったわけですよね?)

K-POP(J-POP)とはなんぞや?とかそもそも俺はどれほどK-POPを知ってる?みたいな根本的な問いは棚に上げておく。(というかそもそもKARAファン歴すら一ヶ月なのだから他のK-POPは全然消化しきれない。)



まあようするに平たく言えば、J-POPらしすぎたりK-POPらしすぎると俺としては「クオリティはともかくあんまり好みではないなあ」みたいなかんじでしょうか。なんかK-POPファンのKARAファンのみなさんには申し訳ない気持ちになりますが。まあ好きになっちゃえばその音楽がどんな「らしさ」でも枠でも系統でもいいんだけど。



ちなみに、Perfume好きからKARAにはまったという人がけっこういるというのを知り、なるほどと。中田ヤスタカ氏がやっていたcapsuleって流れとしてはモロに渋谷系(笑)だったと思うし(capsuleは悪くないけど面白みがないなあってかんじだった)、中田氏perfumeをはじめて聴いたときは「ん?ピチカート系?」と思ったし。というか、好きとまでは言えないけど最近の日本の人気音楽で唯一俺が「聴ける」のはperfumeなので、やっぱKARAとの親和性わかる。



でも、俺の好みはともかく、そもそも、いい音楽ってのは枠関係ないと思う。たとえば、Pretty Girlとかミスターって今となっては別に「K-POP」「J-POP」という枠で語る必要性まったくないような作品になってると思う。STEPもそういう作品になると思う。ポップミュージックの王道枠。後になって残るような作品って結局小さい「枠」を超えたりするものなのかなと。普遍性を獲得するというか。

それに、「J」とか「K」とか最初はともかくいちいちいつまでもつけるのって、「俺のナショナリズムに関する問題意識」からも、ほどほどにしてよ、みたいなかんじ。一応、音楽エンタメも芸術なんだからあんまりナショナリズム風味の文脈に乗せちゃうと興醒め、みたいな。普遍性への希求を放棄してるみたいなかんじもするし。


まあようするに、KARAにはK-POPだろうとJ-POPだろうと曲発表時には枠でくくられるだろうけど、その後そういう枠を越えて普遍性を獲得するような作品をやってもらいたい。KARAにはそういう音楽が似合うと思うし。

そういう意味で、これまでKARAの曲を韓国で作ってきた人たちには期待する。去年の日本向けの音楽はKARAファンの裾野を広げることには大成功したと思うんで(しかし後に残るような曲はないだろう)、これからは後に残るような音楽を期待したい(ちょこちょこいろんな風味の音楽やるのも別に反対しないけど)。


みたいなことをまあ思ってたわけだけど。

一週間くらい前までは。

ようするにまあ平たく言えば、日本向けの曲は好かん、こんなKARAは見たくないなあ、みたいな。「K-POPのKARAがいい、J-POPのKARAは微妙」系の方々とは結論は似たようなものになるんだけど、結論に至る理路はちょっと違う、みたいな。

一週間くらい前までは。


でもね、「GO GO サマー!」とか(テレビのとかも)を少し真面目に観てみたというか、心をまっさらにして観てみたんだけどね、なんか考え方・感じ方ちょっと変わってきた。

曲が好きかどうかはともかく、たとえば「GO GO サマー!」ってやっぱ「KARAらしい」んだな。これはKARAがやっていい作品だしKARAがやるべきモノって言っちゃってもいいんじゃね?みたいな。

曲にしろ踊りにしろ、というかタイトルなんだよタイトル、ってなかんじの安っぽさ、ダサさ、まあ正直ドン引きする感はあるけどというか一週間前までは率直にドン引きだったわけだけど、なんかね、いいんだよね、KARAらしいんだ。この曲をパフォーマンスしてるKARAがいいんだな、とっても。観てると楽しいんだな。



ちょうどこういうこと書いてる方がいた。


何が素晴らしいってさ! (そりゃ全部だけどさ)
   
なんなの?この、とってもアホっぽい振り付けは?、笑いとまりませんぜ
  
カワイ過ぎるしょ!、ってかもう抱きしめたいくらい「ザ・KARA」な感じでしょ!
    
こんな振り付けがバシっとはまるのって、きょうび、KARAくらいのもんでしょ?

この振り付けのアホっぽさは、スンヨンのカラスの鳴き声モノマネと、ヒジョ〜によく似ています
   
「アホさ余って、キュートさ100倍」・・・そんな感じです

http://matsuyama-k-pop.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/karagogo-b2c5.html




『GoGoサマー』の振り付けに関してです
   
あのとっても面白い振り付け、
「KARA」+「パラパラ」=『カラパラ』ですって!

素晴らしいですね、安直この上ないとはこのことを言うのでしょう
     
ひねりナッシングなナイスなネーミングセンスです
    
誰が言い出したのでしょうか?
   
やはり「ニコル」あたりが嬉しげに言ったのでしょうか?
   
それとも「スンヨン」がいつものドヤ顔で言っちゃったのでしょうか?
  
「ギャル系」って表現は「いかがなもの?」と思いましたが、、、
   
まぁ彼女たちが「若い」ってことは違いないですもんね
    
ま、何系でもいいさ、何系でも・・・だって「KARA」だもの・・・
   
あと、この動画みて、何を思ったかってさ・・・
   
あの「ラブワゴン」に乗って、一緒に海に行きたいよね!
   
なんならその後、きゃっきゃ言いながら花火もやりたいよね!    
   
で、ラストはBOXあたりで、皆で「カラパラ」、踊りたいよね!

http://matsuyama-k-pop.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/kara-4125.html




もちろん、「Coming up」のところさ! (02:35〜)
   
小刻みに上下してるもんだからキャプチャリング不可ダ
   
でもココは静止画像じゃ絶対伝わらないね
   
ホンの2秒もないくらいなんだけど、強烈すぎるのね

事務所指示だとしても、だよ、、、そんな次元の話じゃないぜ、こりゃ
  
人から言われて出せる表情じゃないよね
  
こんな表情でパフォってるアイドルって・・・古今東西、いないでしょ?

http://matsuyama-k-pop.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-9026-1.html



この方がベタなのかネタ(皮肉)なのかヤケなのかいまいち判断つかないのだけど、俺としてはベタに同意ですってかんじ。



そもそもさ、KARAって「ダサかわいい」「アホかわいい」って路線だったはずじゃないかと。「ROCK U」なんてモロ「ダサかわ・アホかわ」路線でしょ。てか、なにrock u ってタイトル。「GO GO サマー!」並みじゃん、安直さは。

rock u の踊りだってさ、正直おいおいってかんじでしょアレ。はずかしいでしょ。アホっぽいでしょ。てかアホでしょ。アホ丸出しでしょ。「ダサかわ・アホかわ」の王道ってかんじで。今でこそKARAのクラシックってかんじで名曲扱いだけど(いや、俺もとても好きですが)。てか「ギョ!」ってなんだよ(「Yo!」?)。足踏まれたワンちゃんかと思ったよ。何回も踏まれてかわいそうにと。

「GO GO サマー!」がクラシックになるとは思えないけど、まあぶっちゃけ似たようなもんじゃね?みたいな。

「ゴーゴーサマー!オッオッオー!」ってなんだよ!ってなるけどさ、「ロッキューバッセー!」みたいなもんでしょ。気づいたら口づさんでるでしょ。


pretty girlだってさ、タイトルの安直さ、Yeah!Yeah!の踊りなんかもさ、ぶっちゃけモロ「ダサかわ」でしょ。はずかしいでしょ。アホでしょ。今では超クラシックになったけど。「イェー!イェー!」なんてねえ。


ゴーゴーサマーのスンヨンのcoming upのところみたいのさ、DATE(My Boy)でもやってるよね。あのスンヨンの二回のピース(一回目のパフォーマンスでは二回のピースをちゃんと映してるのだけどその後の番組ではそうでもないのが残念)。

超はずかしいでしょ。

ブリッコ苦手の俺だけどさ、スンヨンって基本的には豪快さんじゃん?だからスンヨンのブリッコはある意味作品だよね。この作品のクオリティにはただただひれ伏すのみ。



DATE(My Boy)のKARAパフォーマンスもさ、ブリッコかわいい系苦手の俺は、最初はずかしくてみれないというかSTEPのオマケで観ちゃったけど観なかったことにしようかなとりあえず記憶から消去しとこうかな、みたいな感覚だったけどさ、今では「なんかいいんだよねえ」ってかんじ。曲も普通にいいし(すっかりお気に入りの曲)、パフォーマンスもさ、ちゃんと観るととてもいいんだな。

まあrock uもpretty girlもあのブリッコかわいいかんじに慣れるのに時間かかったし。

つーか、date(my boy)って、だからその安直ではずかしくてダサくてアホ丸出しなタイトルなんだよ、と。



というかさ、ミスターとかルパンとかさ、てかhoneyとかwannaとかjumpinとかさ、安直にもほどがあるだろってかんじじゃん、タイトルとか。「ミスター」とかはずかしくて言えないでしょ。ていうかhoneyなんて曲も踊りもモロはずかしい部類じゃん。

てかhoneyなんていまだに慣れないし。唯一慣れてない曲かも。てか正直ゴゴサマの方がhoneyより全然イケるかんじが俺はする。「ハニーハニーハニー」より「ゴーゴーサマーオオオー」の方が普通にノリノリでイケる気がする。honeyは今後もずっとムリかも、みたいな気もする。



ゴゴサマがイケればウインターマジックなんてもちろん超余裕。ゴゴサマのように葛藤を昇華させる必要性まったくなし。今の俺を困らす要素はほとんどなく、 ふつうにかわいくてノープロブレム。というか、KARAファンにとってあのPVは普通に傑作なんじゃないか?KARAが主役の映像作品みたいなも んでしょ(てかゴゴサマのビデオも普通にKARAサイコーってかんじでとても楽しいでしょ)。

なんでstepじゃなくてwinter magicなんだよ!問題もさ、よく考えれば、step一ヶ月やったし次にはまた違ったKARA観るの楽しくね?だよなあと(いやそもそも12月の終わりにファンになったからリアルタイムではどちらの活動も全然知らなかったけど)。STEPx2とSTEP+Winter Magicのどっちがいいって、やっぱそりゃ後者なんじゃないかな、ってな境地まで俺は確実に来た。






まあとにかく紙一重なんだな。

考えれば、「渋谷系(笑)」なんてのも「ダサかわ」だったり「ダサかっこいい」だったりの紙一重の部分がポイントで、ピチカートなんかはそのへんの微妙なところをうまく昇華させた感がウリだったような。「ちょっとはずかしくないかい?どうなんだろ?」みたいな部分もあったし、そこがまたおもしろみでもあった。奥行きを生み出してた。マジなところとのギャップがたまらなかったり。


つーか、ビートルズにしろデヴィッド・ボウイにしろ紙一重でしょ。もしかしてダサい?みたいなところ多々あるでしょ。てか、SUEDEのライブでのマイク振り回しなんてヤバイでしょ。アレを観たときの紙一重感を思い出したよ。


てか、ホップ音楽ってそういうもんでしょ。

紙一重の奇跡が醍醐味。


まあなんだ、KARAを少しづつ理解できてきたような気がする。視界が晴れてきたような気がする。


とにかくさ、ゴーゴーサマーからロックユーからルパンにステップだよ、この幅の広さ、ギャップ、すばらしい。おまけにギュリあたり真面目に歌っちゃったりしてるしさ、KARAの音楽・パフォーマンスどんだけ多彩なんだよ、と。とっても楽しいでしょ。


なんでstepじゃなくてwinter magicなんだよ!ってのはstepを、stepを知らない日本のみんなにも見せつけてくれ!みたいな気持ちだと思う。でもさ、その「日本のみんな」「KARAをよく知らない日本のみんな」「KARAの日本での売れ方」のことは置いておいて自分自身の楽しみを考えればさ、違ったKARA観るのも楽しいはずなんじゃないかなあと。



ちなみに日本語版を出すことについては、まあ真面目に考えればというか音楽・文化・言語・価値・政治・社会・市場等いろいろな観点からいろいろ思うところもあるけど、単純に考えれば、↑で書いたように「K-POPのKARA」に特に思い入れがあるわけではないので、いろんなバージョンを楽しめて聴く・観る方としては楽しい、と思う(元々歌詞にはほとんど興味なく歌も音の一部と捉える俺なので音として特に問題ありと思わなければ何語でもオッケー)。本人たちは大変でなんかかわいそうな気もするけど。


てかさっきガンズ・アンド・ローゼズのWelcome to the Jungleのビデオ観たんだけどさ、やっぱこの曲、紙一重感ハンパないでしょ。出だしなんておバカすぎでしょ。てかレディ・ガガあたりも紙一重っぷりがウリでしょ。




ところでSTEPで一位になったあとシンドンさんって人が前に出てきて踊るってシーンあったけど、あれ最初観たときは「なんだこの人?せっかくの場面で前出てきてなんだ?」と少し思ったのだけど(誰だか知らんかった)、文脈というかこの方とギュリやKARAとの関係・絆なんかを知ったらあのシーンの見え方がまったく違った。感動の祝福にちゃんと見えた。文脈って大切だし文脈ナシに早がってんするのはよくないなとあらためて思った。


てか書くの疲れた。




| KARA | 12:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

KARAにはまって『けいおん!』の意味がわかった。




数ヶ月前に『けいおん!』を観た。シーズン1とシーズン2。すごい人気(一部の界隈とはいえ)ということなので、どんなもんなの?と。『魔法少女まどか☆マギカ』と『侵略!イカ娘』も前に観た。

アニメ全然知らない俺だけど、『まどか☆マギカ』と『イカ娘』はとても良い、普通に好きと思った。けど、『けいおん!』は正直微妙。気合いで完走したけど。笑いをとりにいってるところは普通におもしろいと思ったけど、しんみりいってる部分とかムリすぎた。あのセカイにどっぷりつかることはまったくできず。つまないからもっとドタバタコントシーン増やしてくれよ、と思いながら観てた。



いや、『けいおん!』がクオリティ高いのはよくわかる。一つ一つのシーンはよくできてるなあと感心しながら観てた。けど好きかどうかというとまあムリ。最後まであのセカイになじめず。あのセカイというかひたすら視聴者というかファンの欲望に忠実すぎるところが特に。

ファンが見たくないものは、ファンが不快と感じるものは絶対に見せない、みたいな。別にこれが悪いわけではない。ただ俺の趣味・興味とまったく違うってだけ。俺の見たいものと『けいおん!』ファンの見たいものがまったく違うってだけだと思う。

俺としては、少しくらい「男」の話というか「恋愛」の話入れてくれよ、ラブコメもやってくれよと思うわけだけど、まあ『けいおん!』ファンはそういうの見たがらないのだろう。俺の偏見かもしれないけど、アニメキャラが処女かどうかとか処女じゃなかったら許せないとかそういう話があるというのをチラホラ見聞きしたかんじでは。



ところでちなみに、KARAのドラマ『URAKARA』が「アイドルは恋愛禁止」みたいなコードにのったかんじだったのが残念。KARAのみんなにはいろいろ楽しい思いをしてほしい。恋愛は楽しいし気持ちいい。KARAのみなさんには恋愛をたくさん楽しんでほしいと強く思う。



それでKARAだけど、はまった理由というか経緯は

KARAが「反日」とかいう話。
http://sezam.jugem.jp/?eid=2701


このエントリーで書いたように、STEPという曲とビデオがくそかっこいい→他の(日本向けじゃない)曲にいいのけっこうあるじゃん(渋谷系w&ブリットポップで育った人たちにウケそう)→バラエティ番組でもこの人たちおもしろい→この人たちみんな個性的で魅力ある→売れない時期とか大変だったんだ、奇跡の成功物語なんだ、愛着わくなあ→みんなのこと好きになっちゃったよ、みたいなかんじなわけだけど、youtubeにはKARAの人たちがただただ映ってるというか、ラフな格好だったりスッピンだったりのKARAメンバーがちょっとふざけてたりじゃれあってたりなにげなしに戯れてるだけだったりみたいなのがゴロゴロあって、そういう動画観るのがなんだか楽しい。

というか、個性豊かなKARAの人たちをただ観てるだけで飽きない。眺めてるだけで楽しい。こういう俺みたいな人が多いからKARA関係でこういう動画がめちゃくちゃ多いのかな?



それで、どっかのブログで、KARAとリアリティ番組やドキュメンタリーとの相性の良さについて書かれてたのを読んだ気がするのだけど、それがよくわかった。リアリティ番組の『KARA BAKERY』は最高だし、来日密着ドキュメンタリーなんかも極上。

「KARAを街などへ連れ出して楽しんでもらってただただKARAのみんなを映してる」的な企画が日本のテレビに多いのもそうかも(言葉の問題もあるだろうけど)。まあ俺がKARA好きだから魅力的に見えるってのもあるだろうけど(誰だろうとファンになればそういうもんか)。というか、魅力的だから俺がはまったってのもあるから、どっちもか。

つーか、ハングル学ぶことにした。



そして、ああ、『けいおん!』好きな人もこんなかんじなのか!みたいに思った。五人(四人?)がただ戯れてるのを観ていたい、眺めていたいってかんじなんだ、と。俺は『けいおん!』をこういう風に楽しむことはできないけれど、『けいおん!』とそのファンを理解できたようなかんじ。



おまけとして『けいおん!』の放課後ティータイムとKARAのメンバーをキャラ的に重ねてみる。(こういうのって『けいおん!』ファン怒ったりする?)


澪―ギュリ
律―スンヨン
紬―ハラ
梓―ニコル
唯―ジヨン


こんなかんじだろうか。

澪―ギュリと梓―ニコルは鉄板のような気がする。澪―ギュリは正統派だけどビビリで怖いのダメ、意外におっちょこちょいだったりいじられたりでオチ担当多い、みたいな。梓―ニコルは一応しっかり者、みたいな。

紬―ハラが一番苦しい。というか紬キャラがKARAにはいないかんじかな。誰かといえばニコルかな。紬―ニコルにして、

澪―ギュリ
唯―スンヨン
律―ハラ
紬―ニコル
梓―ジヨン

これでもいいかも。梓―ジヨンはそのまま「末っ子」ってことで。律―ハラはまあベタだけどガサツというか男っぽいというか(まあハラはどこが「クールなお嬢様」だよってかんじだし)。唯―スンヨンはけっこうピッタリっぽいんだけど、ときおりスンヨンが垣間見せる「漢」というか男前っぽいかんじも印象強いんだよなあ。

って、なにやってんだ俺は。



| KARA | 03:48 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |

KARAが「反日」とかいう話。





まあ巷の「反日」という言葉の使われた方のアホさについてはいまさらすぎるのだけどまずはKARAについて少し。

KARAが好きになってしまった。前は、韓国映画大好きだけど韓流アイドルというかK-POPというかそもそも日本で流行りの音楽とかアイドルとかにほとんど興味なかったのだけど。

まあKARAの「ミスター」とか「ジャンピン」あたりは音楽チャンネルのビデオ観て、自分では聴かないけど客観的になかなかのクオリティとは一応思っていたし、バラエティ番組でチラホラみるKARAのおもしろさというか一人一人のキャラ立ち具合は奇跡的だなと感心もしていたけれど(全員の顔と名前とキャラをすぐ覚えてしまった)。



で、この前たまたま「STEP」って曲のビデオ観て、「うわっ、これはやばい、超かっこいい」と。普通に聴けるし。ビデオもイケてるし。「KARAが好き」といってもいいくらいに。

KARA-STEP
http://www.youtube.com/watch?v=zYoYoBtLqOY


他の曲もいろいろチェックしたら「あれ?俺好みの曲多くね?」とビックリ。基本、英米バンド&渋谷系(笑)で育ったわけだけど、なんかすごく自分にフィットするかんじの曲が多いとかんじた。(「あれ?もしかしてK-POPって俺好みの多いの?と思いいろいろチェックした。平均点は非常に高くてそれなりにみんないいんだけど、KARA曲のようには燃えないかった。後から知ったけどKARA音楽はK-POPではやや異色っぽい。)

で、↓の動画に遭遇した。

KARA デビューから今までのストーリー日本語 PART1
http://www.youtube.com/watch?v=9ajbbPUtRtM

上のが削除されてたんでこちら。
KARA ミラクルストーリー
http://vimeo.com/19160902
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13409796


KARA デビューから今までのストーリー 日本語 PART2
http://www.youtube.com/watch?v=D9DEqW-PKQk

KARA ファンミーティング歴史 日本語
http://www.youtube.com/watch?v=SC5ZSqA4QLE




すっかりKARAに詳しくなってしまったというかなんだこれものすげー動画。不覚にも感動というか「泣いちゃいそう」ってなった。

他にも動画ちょこちょこみて「KARAのファンです、俺」と言ってもおかしくないくらいになってしまった・・・。



で、ここに出てくる「放牧型アイドル」って表現に大ウケして検索してみたらこういうページが。



KARAや少女時代を見て、
「スゲー綺麗だなー、、可愛いなー」

って思っても

「こいつらも反日で陰ではなに考えてるか解んねぇな、、」

と冷静になって考えてしまうのは自分だけでしょうか?

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1468089119



まあ、そこらの「嫌韓ネトウヨ」さんたちよりははるかにマトモな香りはするけど、あなたが「冷静」って・・・ちゃんと「冷静」になってほんの少しでいいから考えてくれよ、というツッコミはともかく・・・。

こういうノリに遭遇したときに俺がする話ってのはこんなかんじ↓。


「反日」ってなによ?少しは考えてよ。

たとえばさ、俺はアメリカのイラク戦争に大反対だったし、この前の国連総会でのオバマ大統領のパレスチナ問題への言及内容は最悪だと思ったし、まあ「アメリカのやっていること」にはいろいろ文句がある。ものすごく怒ってる。

昔の話でいえば、たとえば日本への原爆や空襲の大虐殺はひどすぎで最狂クラスの戦争犯罪で、奴隷制度や人種差別もあたりまえだけど論外だと思ってる。

まああたりまえだけど「アメリカ」について批判なり文句なり言えっていわれたら永遠に言える。政治や歴史だけでなく社会や日常についても。

俺は「反米」なの?俺は「アメリカが嫌い」なの?


だけれども、アメリカの映画や音楽には素晴らしいものがたくさんあると思うし、アメリカの知識人からいろいろ学んだし、アメリカの民主主義・人権思想の理想(現実はまあアレかもしれんけど)や公民権運動の実践とか普通に尊敬している。

というか、そもそも俺はアメリカで大学・大学院教育受けたわけで。しかも奨学金がっぽり出してもらって。「アメリカ」に超感謝してる。多くの「アメリカ人(だけじゃないけどもちろん)」の世話になった。


まあとにかくさあ、「反日」がどうだとか「○○国が嫌い」とかアホなことベタに言う前にさあ、少し考えてみようよ、と。



あとさ、「反日教育」みたいはアホな表現もそこら中にあふれてるけどさ、やってるとしたら「歴史教育」でしょって。「反」がつくとしたら「反大日本帝国教育」でしょって。

世界中で「反ナチスドイツ教育」が行われてるように。世界中で「反独教育」が行われているのではなく。


そうそう、「反大日本帝国」的なシーンが少しでもあると「反日映画」みたいな表現使い出すノリあるけどさ、んなこといったら世界中「反独映画」だらけじゃねーか。で、もちろん世界中にあふれてるのは「反独映画」でなく「反ナチスドイツ映画」なわけで。



とにかくね、一部の「嫌韓」さんは「韓国に関わる(とオレ様たちが判断した)ものすべてが憎い」「韓国人が不幸になってほしい」「日本人が韓国人に殺 されたら盛り上がれるから超嬉しい」ってなかんじだけど、こういうレベルのどうしようもない人はどこの国・社会でも少しはいるけどほとんどはそうじゃない わけで。そしてKARAや少女時代の方々がこういうレベルのどうしようもない人である可能性なんてゼロなわけで。「陰で」日本人不幸になれ!なんて考えてる可能性なんてゼロなわけで。

(つーか、KARAとか韓国のバラエティ番組で日本の話を楽しそうにガンガンしゃべってんのに。韓国のKARAファンたちの日本大好きっぷりはすごいし(KARAを愛する日本や楽しい文化・優しい人たちが多い日本ね、大日本帝国的なものに固執する日本じゃなくて)。)


なんつーかさー、こんな普通なこといちいち言わなきゃならないようなことなんでしょうかねえ?って何年も前から言ってるのだけど・・・。


というかさ、韓国の番組の動画観て思ったんだけど、ギュリのキャラってあれ日本でいうところの「女王様キャラ」に近いよね、語感的には、「女神」より傲慢な「女王様」。すげーおもしろいというか頭の回転がはやいのかキレキレ感があって驚いた。「日本でも女神って自己紹介してたね」という質問に、「最近は恥ずかしいからあまりやらない」的なこと言ってた動画もみたけど。てかすっかりKARAに詳しいファンになりつつあってはずかしい。いやほんと全員みんなほんといい。


コメント欄から

どうせ陰で日本の悪口言ってんに決まってるだろwww


そりゃ言ってるに決まってるでしょう。言ってなかったら人間としてどっか壊れてるんじゃないかと逆に心配になりますよ。

たとえばね、私はアメリカに住んでましたけど、日本人同士、外国人同士(非アメリカ人同士)集まりゃ、そりゃもう「アメリカ」や「アメリカ人」の文句言いまくってましたよ、みんなで。

ですけどね、それはみんなお互いがレイシストでない、本気で「アメリカ」や「アメリカ人」を(ひとくくりにして)憎むなんてアホなことするような人間じゃないということを了解した上でのことです。ヘイトスピーチを心底軽蔑する者同士の「愚痴」であり「笑い話」です。


外国滞在はじめてすぐは、その国や社会の嫌なところばかり目につき、自国の好きなところをいろいろ思い出して懐かしくなるものです。たまにこういう状態の まま帰国してアホな国粋主義者になる人もいますが、まあたいていの人は「どこの国・社会にも自分にとって嫌なところも良いところもあるよな」くらいの常識 的な感覚に落ち着くものです。

そしてこういう常識的な感覚をお互いが持っていると了解した上での「愚痴」や「文句」を外国人同士やるわけです。


というかですね、あなたは自分の周りの人やモノやコトについて文句言わないんですか?愚痴言ったりしないんですか?

恋人について、家族について仕事について、学校について、自分の街について、自分の家について、自分の自転車について、まあなんでもいいですが、文句言ったり、悪口言ったり、愚痴ったりしないんですか?

悪口言ったり、文句言ったり、愚痴ったりする対象のものはすべて憎むものですか?そうじゃないですよね。自分にとってとても大切な人やモノやコトについてだって悪口言ったり文句言ったり愚痴ったりしますよね?

そして、そういう悪口や文句や愚痴がどういう性質のものか(対象を憎んでいるのかそうでないのか)はその人(の言動や言動のトーン)を見ていればわかりますよね。

たとえば、「嫌韓レイシストによるヘイトスピーチ」と「普通の常識人による韓国に関しての文句・愚痴」(常識人は場所や場合をわきまえますので、嫌韓ヘイトスピーチと混同されるような状況ではやりません)は区別できるように。


というか、↑のエントリーでも書きましたけど、KARAの人たち、韓国のテレビ番組で日本の話ほんと楽しそうにガンガンしてますよ。

| KARA | 19:45 | comments(12) | trackbacks(0) | - | - |

死刑基準 その2




出演:山本耕史 小澤征悦 戸田菜穂 柏原崇 京野ことみ 光石研 柄本明

この前こういう↓こと書いたわけだけど、まあ、どうでしょう。杞憂だったとは一応言えるとは思うけど。


wowowドラマ。はじまる前だけど。宣伝コピーそのままのドラマだったらやだなと。

「家族が殺されても、死刑反対を言えますか?」って なコピーですが、なら、「家族が冤罪を訴えながらも殺人犯として死刑判決を受け、そしてあなたも家族の有罪に確信が持てないどころか冤罪を確信してる状 況、いや冤罪だということを事実知っている(が証明はできない)状況ですが、それでも死刑賛成を言えますか?はやく死刑執行しろと言えますか?」とかも聞 いたらどうかと。


いや、昔、こういうことも書いたけど。

殺人犯全員死刑論
http://sezam.jugem.jp/?eid=1749

そ もそも、ほとんどの殺人犯は死刑求刑されないし死刑判決も受けないわけで、と。「家族が」とか「遺族が」とか死刑反対派に「どや顔」で言いたがるあなた は、じゃあ殺人犯全員死刑論をちゃんと訴えますか?と。ワイドショーでワイワイやってる事件にだけ噴きあがってないですか?みたいな。



と いうかさ、いやさ、確かに「家族が殺されても」ってのは困難な問いで考えるに値する話だけどさ、この手のノリで軽々しくというか「どや顔」で言うのは軽薄 な問いにしかならんよ。いや、実際に重い「転向」をした弁護士の方がいるのは有名だけどさ。(そして、家族を殺された方にも死刑廃止運動に関わってる原田正治さんのような方もいる。)

というかさ、「家族が」を問うなら死刑だけでなく他の問題でもどんな問題でもすべて「家族が」と問わなきゃ。

いろんな問題で「家族が」や「自分が」と問うことは大切で、それこそジョン・ロールズの「無知のヴェール」みたいな議論ができるかもしれないけど、死刑の話のときだけ、それも一方の面しか問題にしないで、「どや顔」でこういうこと言うのはねえ。


「正 義論」とはまた別に、現実問題というか素朴な直感としては、すべての難問において「当事者」そのものであることは不可能なので(たとえば、自分の子供がソ マリアで餓死寸前ではないし、家族が旧ユーゴ戦争で壮絶な死に方をしたわけでもない)、問題への取り組み方についてはある種の割り切りもしょうがない、と 苦しいながらも、するしかないところもあるし。この「しょうがない」も己の不作為への開き直りではなかろうか、とまたなやましいわけで。その「しょうがな い」はどれほどの葛藤や苦悩がともなったうえなのか。たとえ葛藤や苦悩を経たものであっても、開き直り・居直りの「しょうがない」と結果としては変わらな いのではないか、とか。


このドラマ、こういうこともちろん考慮ずみで、宣伝コピーそのままなんてことにはなってないことを期待したい。とりあえず加茂隆康さんの原作のことはまったく調べずに観てみる予定。




まあ、現実の世の中では弁護側にああやって協力してくれる捜査関係者や検事なんて出てこないでサクサク進んでるんだろうけど。というか、今までの冤罪事件で捜査関係者や検事がこういうことやったなんてないよね?


というか、「冤罪の可能性が1%でもあれば弁護士は」とか言ってたけど、それおかしいでしょ。「死刑求刑されたら、冤罪の可能性ゼロ(たとえば公衆の面前で犯行、鮮明映像あり)でも、担当弁護士は全力で被告人の死刑を回避すべく努力する義務があるでしょう。当たり前に。


それはともかく、

最近の世間の死刑論議って、すっかり「遺族感情」の話ばっかりだなあ。もちろん遺族感情の問題は大切だけどさ、こればっかりに集中するのはなあ。まあ、このドラマは前半はそうだったけど、後半は一応冤罪を焦点にしてたけど。


「もし家族が」とか言うけどさ、「もし家族が凄惨なレイプ被害にあったら」とか考えればさ、加害者殺したくなるよ、死刑になってほしいと思うかもしれないよ、そりゃ。けどさ、

死刑は絶対にないわけで、どんな酷いレイプでも。

被害者や被害者家族が、死刑がムリなら加害者を散々拷問してくれって思ったとしても、絶対にそれはかなわない。

殺人罪で死刑という刑罰が日本では、日本では、存在するから殺人犯の死刑の可能性があるわけで。

レイプで死刑、レイプで拷問、ってな刑罰は日本にはない。いくら被害者が、被害者家族が望んだって、絶対に不可能。

どんなに凄惨な犯罪でも拷問刑にはならない。どんなに凄惨な拷問を加害者が被害者に対してしても、被害者や被害者家族がこの加害者を死刑にしてくれ、死刑がムリならせめて拷問してくれと願ってもそれはムリ。拷問どころか三発殴られるみたいな刑もムリ。

被害者や被害者家族が「一発くらい殴らせろ」ってのも当然ムリ。殺人事件の遺族が「死刑じゃなくてもいい、せめて俺に一発殴らせてくれ」もムリ。

こういう場合、「被害者や被害者家族の思い」は? 

逆に、十人くらいが虐殺された事件があったとして、もし遺族のすべてが「死刑はやめてください。無期懲役にしてください」と言ったとしても、現行法ではまあ死刑でしょう。

「遺族の思い」はとても重要だけど、当然ながらすべてではないわけで。



あとさ、「殺してやりてえ」と思うことと、実際に「死刑にしろ」と公言するまでの距離もあるはず。

俺は妄想の中では散々人殺してるけど、それはあくまで妄想の中だけなわけで。




「ほとんどの殺人犯は死刑求刑も死刑判決もない」と前のエントリーで書いたけど、「遺族が」というなら、死刑求刑されないような殺人事件の遺族だって、死刑求刑・判決になるような最凶クラスの事件の遺族だって、思いはたいして変わらないような気がするし。

遺族の思いは変わらないと仮定するなら、やっぱ殺人犯全員死刑を言うのかと。



このドラマの最後に弁護士が、

「死刑制度は、個人の恨みを国が代わってはらすためためにあるんじゃない。かけがえのない命を奪った罪には、かけがえのない命を差し出すことでしか、つぐなえない。多くの日本人が、死刑制度を支持しているのは、それが理由だと私は思います。」


と言うけどさ、世間ではやっぱ「遺族が」「遺族の恨みを国が代わってはらせ」ってのが強いんじゃないかなあ。

でも↑の弁護士が言うとおりだったとしよう。

じゃあそれならやっぱ殺人犯全員死刑でしょう。

殺人犯全員死刑じゃない現在は、一応最凶クラスの殺人犯だけが死刑事案ってことになってるわけだけど、最凶クラスであろうとそうでなかろうと、殺人犯は「かけがえのない命を奪った」わけなのだから、殺人犯全員死刑だろう。


ちなみに、俺が死刑制度に反対なのは、まあいろいろ理由あるけど、結局のところ、「無抵抗の人間を殺すのはダメ、正当防衛以外の殺人はダメ」ってのに落ちつきそうなかんじ。


追記:

日本では毎年約100万人が 死亡している。ところが、その中で明らかに病死以外の「異状死」とみられる15万人以上の遺体が、正確な死因がわからないまま処理されている。このことが “事故や事件の見逃し”という事態を招き、防げたはずの更なる犠牲者を生み出す「負の連鎖」を生み出している。齋藤愼也さん(当時29)は23年前、北海 道北見市のアパートで死亡した。解剖されずに下された死因は「溺死」。しかし、父・武雄さんはこれを信じてはいない。死の直前、愼也さんが周囲にガス湯わ かし器の不調を聞いていたことと、5か月後、同じ部屋で男女2人が一酸化炭素中毒で死亡したからだ。武雄さんは今も心の整理がつかず苦しんでいる。死因究 明制度が抱える問題を検証し、目指すべき道を探る。

http://www.ntv.co.jp/document/back/201109.html


「遺族が」というなら、こういう遺族や問題にももうちょっと関心を向けてもいいんじゃないかと思う。ワイドショーでワイワイやってる事がらだけでなく。



| 映画 | 05:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

死刑基準




出演:山本耕史 小澤征悦 戸田菜穂 柏原崇 京野ことみ 光石研 柄本明

wowowドラマ。はじまる前だけど。宣伝コピーそのままのドラマだったらやだなと。

「家族が殺されても、死刑反対を言えますか?」ってなコピーですが、なら、「家族が冤罪を訴えながらも殺人犯として死刑判決を受け、そしてあなたも家族の有罪に確信が持てないどころか冤罪を確信してる状況、いや冤罪だということを事実知っている(が証明はできない)状況ですが、それでも死刑賛成を言えますか?はやく死刑執行しろと言えますか?」とかも聞いたらどうかと。


いや、昔、こういうことも書いたけど。

殺人犯全員死刑論
http://sezam.jugem.jp/?eid=1749

そもそも、ほとんどの殺人犯は死刑求刑されないし死刑判決も受けないわけで、と。「家族が」とか「遺族が」とか死刑反対派に「どや顔」で言いたがるあなたは、じゃあ殺人犯全員死刑論をちゃんと訴えますか?と。ワイドショーでワイワイやってる事件にだけ噴きあがってないですか?みたいな。



というかさ、いやさ、確かに「家族が殺されても」ってのは困難な問いで考えるに値する話だけどさ、この手のノリで軽々しくというか「どや顔」で言うのは軽薄な問いにしかならんよ。いや、実際に重い「転向」をした弁護士の方がいるのは有名だけどさ。(そして、家族を殺された方にも死刑廃止運動に関わってる原田正治さんのような方もいる。)

というかさ、「家族が」を問うなら死刑だけでなく他の問題でもどんな問題でもすべて「家族が」と問わなきゃ。

いろんな問題で「家族が」や「自分が」と問うことは大切で、それこそジョン・ロールズの「無知のヴェール」みたいな議論ができるかもしれないけど、死刑の話のときだけ、それも一方の面しか問題にしないで、「どや顔」でこういうこと言うのはねえ。


「正義論」とはまた別に、現実問題というか素朴な直感としては、すべての難問において「当事者」そのものであることは不可能なので(たとえば、自分の子供がソマリアで餓死寸前ではないし、家族が旧ユーゴ戦争で壮絶な死に方をしたわけでもない)、問題への取り組み方についてはある種の割り切りもしょうがない、と苦しいながらも、するしかないところもあるし。この「しょうがない」も己の不作為への開き直りではなかろうか、とまたなやましいわけで。その「しょうがない」はどれほどの葛藤や苦悩がともなったうえなのか。たとえ葛藤や苦悩を経たものであっても、開き直り・居直りの「しょうがない」と結果としては変わらないのではないか、とか。


このドラマ、こういうこともちろん考慮ずみで、宣伝コピーそのままなんてことにはなってないことを期待したい。とりあえず加茂隆康さんの原作のことはまったく調べずに観てみる予定。


観賞後↓

死刑基準 その2
http://sezam.jugem.jp/?eid=2700





| 映画 | 11:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

黒祠の島




小野不由美 祥伝社

終盤みんな超饒舌になってガーって行き過ぎのような気がするけど、まあ推理小説ってのはこういうものなのでしょう。こうだからこそこっちもガーって読めるわけだし。『屍鬼』あたりとはまた違ったジャンルなのでしょう。内容そのものはとても好き。




| | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

日本の歴史 4




家永三郎 編  ほるぷ出版




| | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

海に沈む太陽




梁石日 筑摩書房

エピソードの羅列だけってかんじのくせして何この良さ。




| | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

沈まぬ太陽(二) アフリカ篇・下




山崎豊子 新潮社




| | 22:38 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

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