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闇の子供たち




監督:阪本順治 原作:梁石日 出演:江口洋介 宮崎あおい 妻夫木聡 佐藤浩市 ほか

武闘派の宮崎あおい。

というか、『ヒューマン・トラフィック』、『セックス・トラフィック』に続いて人身売買問題映画。原作の梁石日や監督の阪本順治が、昨年のアメリカ議会・EU議会をはじめ世界各地での従軍慰安婦問題に関する日本政府非難決議に結びついたと言われる、最近のこの種の問題への国際的関心の高まりというものを、どの程度意識していたかはわからないが(原作まだ読んでないし)、一応、この流れの中に位置づけられるだろう作品。

(ちなみに、現在の日本も人身売買(被害者の多くは東南アジアや南米の女性。東欧やロシアの女性も?)に甘い国、というか日本に関わる人身売買問題(国内外)への日本政府の取り組みが甘いと批判されている模様。批判されて多少本腰入れたようで、昨年の評価は多少マシになった模様。)



で、映画。

観る前は、『KT』みたいなかんじなのかな、と予想していた。

というかエグい。

いろいろエグい。

というか、子供たちのシーンはつらいからもうやめて、江口洋介や宮崎あおいを見せて、と思わされたのだけど、これでもかと見せる。知識としてわかっていても、映像で見せされるときつい。フィクションでもきつい。観る前は、「いまさらの話だし」とか思っていたけれど、映像でああいう風に見せられると途方もなくつらい。つらがる自分自身に少々驚いた俺。

2時間18分のようだけど、あっという間だった。



宮崎あおいが「日本でなんかすれば?」的なことを言われていたが、映画の中での宮崎の返答はいまいち。いきなり言われて困った普通の人というか新入りのルーキーっぽさがよく出ていて、映画としてはあれでいいと思うけど。完璧に応答できるようなツワモノとして最初から描くのはどうかと思うし。

映画を離れたとすれば、一言でなら、「ここの子供たちの力になりたいから」でいいと思う。直球で。「アジア人だから」でもいいだろう。「日本で」に対するなら。


この手の「日本人なら日本でやれば?」的発想は、素朴な疑問なら聞きたい理由はわかるし、いい思う。けれど、この手のことを言う人は、この映画の新聞記者の一人(清水)もそうだけど、「非難」や「嘲笑」を目的とすることが多いと思う。(最初にこの疑問を宮崎にぶつけた女性だけど、この方についてはその後に明かされた事情もあるのでとりあえず置いておきます。あくまでターゲットは「清水さん的人間」にしときます。)


「日本人だから日本でやる」において、「日本人だから」というのは「日本でやる」の一つの理由の例にすぎない。「どこでなにをやるか」について、人にはそれぞれ様々な理由や動機があると思う。


「東京人が新潟でやる」ことについて、「東京人なら東京でやれば?」と聞かれたとする。「日本人だから新潟でやる」という答えもあるだろうし、「親が新潟出身でなじみがある」という答えもあるだろうし、「新潟のこの問題について勉強したから」という答えだってあるだろう。

「フランス人がベトナムでやる」ことについて、「フランス人ならフランスでやれば?」と聞かれたとする。「フランス人だから歴史的にも関係の深いベトナムでやる」、「友人にベトナム人が何人かいてベトナム人の問題が他人事だと思えない」、「子供の頃に読んだベトナムについての本の影響でベトナムに思い入れがある」、いろいろ答えはあるだろう。

「韓国人がカンボジアでやる」。「アジア人だから」、「カンボジア史を勉強したから」、「恩師の元で働こうと思った。恩師がカンボジアで仕事してた。」、「知り合いに手伝っくれと頼まれた」、「昔カンボジア人に世話になったので」。いろいろあるだろう。

「ブラジル人がルワンダでやる」。「地球人だし」、「ルワンダ政治が専門だから」、「映画『ホテル・ルワンダ』を観てルワンダの人たちのためになんかしたいと思ったから」、「特にどこでというのはなかったが、たまたまルワンダでの仕事があったので、じゃあルワンダでやってみようと思った」。いろいろ。


理由や動機や事情なんて人それぞれだろう。人の「縁」なんていろいろあるだろう。「日本人だから日本でやる」や「カナダ人だからカナダでやる」でもいい。だけど、それは、「東京人が新潟でやる」や「フランス人がベトナムでやる」や「韓国人がカンボジアでやる」や「ブラジル人がルワンダでやる」に比べて自明であるわけではない。わかりやすいのはわかるが、本質的な違いはないでしょう。


というか、アルゼンチン史を学んでる日本人に「日本人なら日本史学べば?」とか、中国文学専門の人に「日本人なら日本文学専門にすれば?」とか言ってるようなもんだと思います。それこそ青い。それこそ世間知らずなのではと。



というか、宮崎あおい、ある種の――それこそ直情的な、ムカついたら一直線の――方々にやたらと反感持たれそうなキャラ――「若い<>」だと特に――を見事に表現してた。


トラブルに巻き込まれて死ねば、死体運搬や調査等で「国や国民に迷惑かける」わけだけど、死ねば許してもらえるでしょう。たぶん。

しかし、もし、もし、あの宮崎あおいが人質にでもされたら、「生きたまま焼き殺す」という声明を犯人たちが出しても、人質にされてしまい凶悪犯罪被害者にでもなってしまったら、散々叩かれるのだろう。「自己責任教」の方々はギャーギャー大沸騰するのだろう。

家族が、愛する家族の一員(宮崎あおい)を、生きたまま焼き殺されるかもしれない家族の一員(宮崎あおい)を救いたい一心で日本政府になにか要求したら、「世間様」の、「国民様」の、「一般人様」の皆様にあんなことやこんなことされてボロボロになってしまうのだろう。ズタボロになって、愛する家族(宮崎あおい)は人質状態のままにも関わらず、政府や国民に謝罪と感謝をただひたすら言いつづけるのだろう。ああかわいそう。ああおぞましい。なんにも悪いことしてないのに。

幸い助かったとしても、「お詫び行脚」させられるのだろう。「国や国民に迷惑かけた」ことを謝り許してもらうために。なんにも悪いことしていないのに。



そりゃ、あえてムリヤリ一般化するけど、ああいうことやれる人ってのはああいう人だったりする。若い人ならなおさらそう。反感持つ人がいるのもわかる。だけど、ああいうことやれる人ってのはああいう人以外あまりいなかったりする。ああいう人じゃない俺みたいのはああいう仕事もああいうことも絶対しない。

映画観て、テレビ見て、本読んで、学校で勉強して、「ひどいなあ」と深刻そうな顔して言ってるだけで。俺みたいのはほとんど役立たず。勇気も志も覚悟もなんもない俺のようなのはああいうことしないしできない。

だから、この世にはああいう人が必要。

「他者のために飛んで行く人」が。


そして、実際、「他者のために飛んで行く人」が、数は少ないが、いる。そして、実際、そういう人たちは、「自称一般人」や「自称普通の人」が反発しがちなキャラだったりする。って、同じような話を繰り返しているが、某国で国際政治でも学べばよくわかる。クラスメートには「そういう人たち」がけっこういるだろう。

「フーコーとかワルツとかモーゲンソーとかフクヤマとかサイードとかネグりとか読むのもいいけどさ、理論ばっか学ばせるな!現場じゃ理論はたいして役に立たない!」とか先生に言ったり(先生からすれば、「現場の専門家になるためのトレーニングもやるけど、やっぱりここは一応学問の場でもあるし」と)。そして、「そういう人たち」が現場に入っていってなにかする。「そういう人」じゃない俺のようなのは上で書いたとおり。


俺みたいなのは、「そういう人」をただひたすら応援しサポートすることができるだけだし、実際俺はそうする。自分がやらないのなら。パウエル前国務長官が言ってたとおり。


(ジャーナリストについてもあえてムリヤリ一般化するが、似たようなもん。「世間様」的には、大メディア会社員の高級高給ジャーナリスト(この映画なら南部や清水)ですら「変わり者」だろうけど、フリーのジャーナリストの多くなんて(以下自粛)。殺し合いやってるところに突っ込んでいくようなフリーのジャーナリストの多くなんてねえ、「世間様」や「自称普通の人」からすりゃねえ。でも、我々の社会はそういう人たちに大事な大事な仕事をアウトソーシングしているわけで。イラク戦争のときなんて、大手メディアはそういうフリーの人たちに丸投げ状態だったわけで。)



反感持つのはしょうがない。反感持つ人は応援もサポートもできないだろう。それはしょうがないし、別にそれでいい。ただ、「叩かないこと」はできるはず。なにかあったときに、不幸にも凶悪犯罪被害者にでもなって「世間を騒がし」「国や国民に迷惑」をかけるようなことになってしまったときに、「バッシングしないこと」はできるはず。(もちろん俺は犯罪被害を「迷惑」だとはまったく思わないけれど。)


「そういう人」が叩かれたら、宮崎あおいが演じたキャラのような人が叩かれたら、悲しむのは「そういう人」や宮崎あおいが演じたキャラのような人に助けられたり、元気づけられたりした人たちだろう。この映画だったら、大変な目にあった子供たち。


(ちなみに、NGO等を一切批判するなというわけではない。それなりの存在感や影響力のある団体だったら、その団体の公式見解や運動方針そのものに問題があると思えばしっかり批判すべき。そういう団体をマネージメントするような立場の人間の公式発言なども当然そう。この話は余談なのでとりあえずここで終わり。)



江口洋介のキャラもなかなか深い。文学的にも現実的にも。

最後に「自分自身」と闘っていたことが明かされるわけだけど。幼児性愛者を「変態」と叩くだけではしょうがないのかもしれない。俺が普通の女好きをやめられないのと同じように、幼児性愛者はやめられないだろうから。

普通の女好きは自分の性癖を実行に移してもなんの問題もないわけだけど、幼児性愛者の場合はそうじゃないからかなり辛いだろう。

幼児性愛だけでなく、実行したらダメな性的嗜好の持ち主を「変態」と罵るのは簡単だけど、実際に大切なのは、そういう人たちが自分の性的嗜好と、他者を侵害せずに、付き合っていく術を学べるように社会がサポートすることではないだろうか。

実際にどうなっているのかについては全然知らないけれど。というか、そういう「術」があるのかどうかもわからないけど。でも、ないなら専門家たちが研究するべきだし、実際されてると思うのだけどどうだろう。時間があったら調べてみたい。



ところで、あの銃撃戦はいまいちよくわからなかった。騒動を起こして、市民をビビらし、あの団体がタイの公権力から「秩序を乱す団体」として睨まれあわよくば弾圧されることを期待しての行動?でも、最後にあの団体が公権力と共に現場に踏み込むところがあったわけだけど。原作読めばわかるのだろうか。原作読みます。




宮台真司がこの映画を絶賛していた。

阪本順治監督の、とんでもなく素晴らしい映画ができました。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=607

(略)

そこに「ポスト9・11」が明解に刻印された日本映画が生まれた。阪本順治監督『闇の子供たち』(08)である。タイを舞台にした日本人の幼児買春と(生きた子供から臓器を抜き出す)臓器売買の現実――まさに現実――に、てらいなく切り込み、実に強烈な印象を残す。

二元論的カタルシスが欠落した社会派映画だからだ。梁石日の原作を阪本自身が脚色した。一人の日本人記者・南部と、一人のNGO職員・景子が、子供たちを救うべく幼児買春と臓器売買に立ち向かう。だが現実は過酷だ。何がか。善悪二元論が通用しないことが過酷なのだ。

素朴な正義感から幼児買春の現場に乗り込むNGOだが、人命を失っただけで現状を変えられない。闇の臓器売買は「掟」の世界。子供一人が犠牲になるのを阻止できても、契約履行のために別の子供がかわりに犠牲になるだけだ。素朴だった景子はやがて地獄の煩悶に陷る。

生きた子供を使った臓器売買に、正義感ゆえに単身切り込む南部は、やがて子供たちが幼児売春宿から調達される事実を知る。生きた子供を使った臓器売買だと知って関わる日本の親たちは、(映画に描かれないが)いずれエイズに罹って死ぬ子たちだと説得されるのであろう。

佐藤浩市が演じる日本人の親はいわゆる悪役として描かれていない。愛ゆえにカネを使う親と、カネゆえに愛を諦める親の、対称性が描かれる。各国で異なる臓器移植法の恣意性を意識せざるを得ない親の立場に身を置いた子持ちの観客は、少なくとも一瞬は揺らぐことだろう。

この揺らぎにさえ敏感な南部は、取材の成就と引換えに命を断つ。正義感から闇の臓器売買に深く切り込んだ彼は、臓器売買と幼児買春との結びつきに気付くが、実は南部自身が幼児買春のユーザーだったのだ。認知的不協和ゆえに取材をあえて記事にせぬまま自ら幕を引く。

正義が悲劇をもたらす逆説。愛が地獄をもたらす逆説。弱者の味方が加害者でもある逆説。逆説は幾重にも入り組む。この逆説の総体を「逆説に鈍感な日本人の加害」として――それも過去ではなく現在の問題として――主題化したところに、日本映画として稀有な衝撃がある。

「あまねく正義」の不可能性や「あまねく愛」の不可能性ゆえに、なおさら正義や愛に近づかんとする志向が輝く。逆説に鈍感な自分たちこそが悪だったというカタルシスなき結末ゆえに「善悪二元論的なカタルシスを求めている今ここにいる観客こそが悪だ」と裁かれるのだ。

ようやく日本でも「ポスト9・11」が刻印された映画が登場したことを喜ぼう。単純な勧善懲悪以外のものを拒絶する「劣化した観客」が大勢を占める日本の映画界では、少なからず冒険だろう。そのぶん海外に輸出できる娯楽映画がようやく誕生したのだとも言えるだろう。

(略)



「あまねく正義」の不可能性や「あまねく愛」の不可能性ゆえに、なおさら正義や愛に近づかんとする志向が輝く。逆説に鈍感な自分たちこそが悪だったというカタルシスなき結末ゆえに「善悪二元論的なカタルシスを求めている今ここにいる観客こそが悪だ」と裁かれるのだ。


ここですな、肝は。病室でのシーンや、最後の宮崎あおいの姿・顔を撮った映像が象徴するものは。(というか、実は、映画の途中で阪本監督の「ミソジニー」を少しだけ疑ってしまった俺だけど、杞憂だった。)

というか、宮台さん、絶賛するのはいいんだけど、アップ早すぎ。一月って、たぶん俺もこれ読んだけどすっかり忘れてたよ。



毎日新聞 シネマの週末・この1本:闇の子供たち
http://mainichi.jp/enta/cinema/news/20080801dde012070028000c.html

・・・極めて難しいテーマに挑んだプロデューサー、監督らに敬意を感じた。桑田佳祐のエンディング曲が聞こえるまでは……。彼が嫌いなのではない。あまりにミスマッチな楽曲に愕然(がくぜん)としたのである。



たしかにあの曲は意味不明、というか、なんで桑田圭祐に曲を頼んだんだか。あの曲が悪いとは言わないけれど、なんだかとても微妙な気がした。まあ俺が桑田さんに元々関心がないのもあるが。監督が桑田好きとかなら別にいいけど。



他所での書き込み。

>2chなどでは主人公のキャラとは別に原作者の属性(ファンにとってはお馴染みですが)も相まってか「反日宣伝」で思考停止してるコピペも頻繁に見かけました。

あいかわらずですよね。コピペどころか本気でそういうこと論じてる方々もブログ等で見かけました。日本人を憎む人々による日本人を貶めるための反日映画だそうです。どうせ映画を観てないでしょうけど。超級映画批評(でしたっけ?)の前田さんはどうだろう?と思いチェックしたんですが、さすがにそこまで飛ばしてはいませんでした、というか普通っぽい感想でした(たぶん。だいぶ前にチェックしたんであんま憶えてません)。映画評といえば、そういえば宮台真司がこの映画をだいぶ激賞してました。

まあ、ネトウヨさん研究にすっかり飽きた私としては、そっち方面のアレはもういいです。 私が気になったというか、やっぱりなと思ったのは、この映画の意義を、(それこそナイーブに)賞賛し、「まずは知ることです。」とか言いながら、宮崎あおい演じるキャラをアレなdisり方する一部の「リアル一般人」のみなさまです。


>思想も理想もうっちゃらかした刹那的な主人公が破綻・破滅する自伝的な小説路線を好んでいる自分としては、かの作品のような清らかな主人公は「異色だし取っ付き難い」面があるにはあるんですが。

よくわかります。私もそうです。

ただ私が思うに、映画を観ていただければわかるのですが、私が言及したようなdisってる人たち(リアル一般人系)が反発しているのは「若い女キャラの清らかさ」ではなく(それも少しはあるでしょうけど)、「若い女キャラの未熟さ」なんですよね。

この「未熟さ」や「不完全さ」を描いたところがポイントで、それが終盤に活きてくるのですが、その前に、このキャラ(「バカ女!」by○○)もう生理的に受け付けない、と拒絶してしまっているようなかんじかなと。

そして、そういう観客(映画を賞賛する「だけ」の私たち)こそが、見事に江口洋介演じるキャラ(正義感があって思慮深くて冷静で有能な人)に重なってしまうということろがこの映画の見事さかなと。「O.K. あなたたちはこの未熟者と違い、思慮深く冷静で有能だ、けれど・・・」と観客に突きつけてくる、と。この部分はスルーされがちですが(笑)。 みんなにわかりやすく描かない監督のせいでしょうか(笑)。

というかネタバレ寸前すいませんが(笑)。






追記。なにゆえ↑のようなことにしつこくこだわるか。理由の一つは岩井俊二がいったとされるこの一言。


かなり前だが、岩井俊二が様々な国でボランティア活動をしている若者を取材するという番組がNHKであった。その中で岩井俊二は、若い彼らの献身さに感心しながらも「あえて聞くけど」と前置きして「なんで日本じゃ同じ事ができないの?」と鋭い指摘をしていた。

http://blog.livedoor.jp/matusan/archives/50654205.html




映画『バッシング』についての文章で、書かれた方の記憶に基くものだけど。岩井俊二がこのとおりのことをいったという前提で。

視聴者の欲望に忠実な質問をしたというよりは、自分の中から出てきた一言というかんじだからという前提で。↑で書いたような「非難」(や「嘲笑」」が多少はこもったノリでの一言という前提で。

これを読んだときとてもがっかりした。『リリィ・シュシュのすべて』や『スワロウテイル』が大好きだから。こんな貧相な人間観・世界観しかないのか・・・岩井俊二は・・・と。



「感心」した上で、「あえて聞くけど」という前置きをするくらいのセンスは岩井俊二にあったようだけど。



ちなみにどうでもいいけど、日本で貧困者を救おう!救え!みたいな運動(最近だと派遣村とか)すると「怠け者を甘やかすな!自己責任だ!アフリカに比べたら(略)」みたいなこという人たちがいる。曽野綾子さんとか。そういう曽野さんはイラク人質事件被害者もボロクソ叩いていた。

まあようするに「わたしにとって目障りな困っている人」がうざくてしかたがない人がいる。抽象的な存在としての、というか概念としての困っている人にはシンパシーをもてても(自分にとって理想的な「無垢な弱者」をイメージできるから)、実際に自分の目の前に現れる困っている人(当然ながら現実は「理想」とは違う)にはムカついてしまう人がいる。



己の宮崎あおいキャラに対する嫌悪感を正当化してくれると感じるためか、大手メディア高給高級ジャーナリスト清水が非難・嘲笑調で言った「自分探しじゃないの?」に共感する人たちがけっこういる。

映画自体は、この清水を相当凡庸なキャラとして描いていて、この「自分探しじゃないの?」という台詞も、「先進国日本で安定した地位の男」的陳腐さの象徴で、宮崎あおいキャラがいる現実からすると、それこそ浮世離れした感覚からくる言葉として描いていたと思うけど。

宮崎あおいキャラも、清水のこの台詞なんて論外、というか、バカなセクハラオヤジを無視するがことくの態度だったけど、それで正解。


というか、「自分探しだとしたら何です?悪いですか?」で終わり。

そもそも、学業後にこういう活動はじめてすぐの人間に「自分探し」の要素が皆無の人なんているわけない。活動や現場の実態なんて最初から知ってるわけないんだから。自分で見てやって、それからどんなもんか考え判断するのが当たり前。

一生現場でやってくのか、現場見てから学問の世界に行くのか、ジャーナリズムに行くのか、政治の世界に行くのか、自分に向いてないと判断し違う世界に行くのか、いろいろあるだろう、そんなの自分で探検してみなぎゃわからない。自分で世界と自分自身をいろいろ探してみないと。


アメリカの大学院で国際政治とかその手の学問学んでる人たちには、こういうのがたくさんいる。「自分探し」で現場を数年間見てもっと勉強したいと思い大学院に行き、その後は、また現場に戻ったり、国連などの国際機関官僚になったり、ジャーナリストになったり、学者になったり、いろいろ。

「清水」のあの台詞こそ世の中を知らない浮世離れした人間の感覚の象徴。




追記。


もっと不道徳な映画またはカッコつきの「正義」について―阪本順治「闇の子供たち
http://d.hatena.ne.jp/DieSixx/20080806/p1


こちらへトラックバック。


DieSixxさん、なんかケンカを売るようなトラバになってしまいました。すいません。私は、宮崎あおいキャラのような人間を何人も知っていますし、「国際政治とNGO」的なことを勉強したこともあるので、あえてです。↑で書いたことと基本的には重なりますが。


 

宮崎あおいは肥大化した正義感と自己実現への欲求も持て余した典型的な「自分探し系」の若者を見事に演じていて、感情移入を許さない。


ああいう人を「肥大化した正義感と自己実現への欲求も持て余した典型的な「自分探し系」の若者」と描写するならば、ああいう「肥大化した正義感と自己実現への欲求も持て余した典型的な「自分探し系」の若者」しかああいう活動の現場に入っていかないし、そして、ああいう人間のああいう活動がこの100数十年、世の中を少しづつ変えてきた(=国家や国家で構成される国際機関の政策を変えてきた)のです、と私は言いたいのです。


そして、阪本監督もこれをわかってるから、最終的に宮崎あおいキャラに寄り添うようなシーン(病室でのシーンと最後の国家権力介入時の宮崎あおいの気合い入った目つきと顔のシーン)を描いたのではないでしょうか。


 

江口洋介演じる新聞記者南部は、観客にとって安心して感情移入することができるほぼ唯一の存在であり、したがって宙吊り状態とも言えるこの映画の「正義」の正当性をぎりぎり支えている安全装置であるが、最後の最後になってこれが瓦解する。
終盤で自殺した南部の遺品を整理する与田(妻夫木聡)が、壁を覆っていた布を剥がす場面は、映画を支えていた「正義」が音を立てて突き崩れていくさまを見事なまでに可視化している。



まさにおっしゃるとおりで、「感情移入を許さない」宮崎あおいとは対照的な描き方をされてきた江口キャラがああなります。私たち観客が感情移入しやすい江口キャラにはああいうオチをつけ、感情移入しづらい宮崎キャラに寄り添った。ようするに、「私たちの正義」を崩壊させ、「私たちがバカにしていた宮崎キャラの正義」に軍配を上げた形になっていたのではないでしょうか。



宮崎あおいキャラみたいな人間をウザいと思うのはよくわかるんです。ほんとに。よーくわかります。そういう人間たちをよく知ってるからこそ。だけれども、だけれども、ちょっと待ってくれ、なんですよね、私が言いたいのは。


| 映画 | 13:47 | comments(6) | trackbacks(19) | - | - |

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Comment
あおがもさん、すいません、大ボケでコメント削除してしまいました。


あおがもさんのコメントはこちら。


「数十年間アフガニスタンで活動している中村哲医師が有名ですね。どういった経緯でアフガンで活動することになったのか私は知りませんが、中村さんには中村さんなりの縁があったのでしょうね。」


2008/08/14 12:21 PM, from 眠胡椒
それで下があおがもさんのコメントへのコメントです。


>ご縁

「なにかの縁」なんて、それこそ日本人好みの概念だと思います。みんな、なにかの縁があって、いろいろな場所でいろいろな活動してるんですよね。


まあぺシャワール会の中村さんの場合はあんまり反発受けないでしょうね。中村さんの『世界』での論文を読んだであろう天皇夫妻から、話を聞かせてくれと皇居に招待されたような人で、いわば「国民的英雄」でしょうし。中村さん自体はモロに「サヨク」でしょうけど(笑)。

というか、見た目からして「ベテラン」、というか目つきからして「修羅場くぐってきたアブナイ野郎(笑)」ですから。特に、「女子供にしたり顔で説教したがるオヤジ的性根の持ち主」ならひるんじゃうんじゃないでしょうか。

もちろん、活動はじめた最初から「ベテラン」で「修羅場くぐってきたアブナイ野郎」なわけないんですが。

あとは、人生を、命をアフガニスタンの人たちのために捧げているのがよくわかるという徹底さですかね。反発受けなそうなのは。活動はじめた最初からそうだったかどうかは知りませんが。


私が思うに、なんというか、余計なお世話なんですよね。他人の決断へのケチのつけ方が。「人生を捧げるくらいにやるならいいけど、「オレ様」から見て「中途半端」だったらバカにする。」みたいなケチのつけ方が。

外野が他人のハードルを勝手に上げすぎかと。ただでさえそういう活動は大変なのに、外野が気分とわけのわからない思い込みで勝手にハードル上げるなよ、と。


他者のための非営利の活動なんて、片手間や趣味でやったっていいと思うんですよね。活動の種類にもよりますが。暇があるとき、やりたい気分になったときに参加するだけだって別にいいと思うんです。受け入れ側(団体とか)が歓迎するなら。映画の宮崎あおいの場合だいぶ命がけでコミットしてましたが。


「国境なき医者団」は有名ですけど、けっこう軽いノリで参加してるお医者さんいると思うんです。長期間活動するのは絶対やだけど(自国で裕福で楽しい生活をエンジョイしたいけど)、たまに休暇代わりにちょっくら他所の国行って活動してくるのは好き、みたいな人が。

こういう人に、「人生を捧げないのか!」「自己満足でいいのか!」とか外野(の俺のような傍観者)が言ってもねえ。「自己満足でいいじゃん」で終わりかと。「自己満足にもなって、他者のためにもなるんだから一石二鳥やん」と。受け入れ側が歓迎するなら。


というか、これは日本人に対するレイシズム寸前の発言かもしれませんが(まあ私が日本人なのでレイシズムにはなりませんが)、ぶっちゃけ、いまどき「日本人なら日本でやれば?」みたいなことを非難調に言うのはそれこそ日本人くらいではと。日本人って、「日本人」という意識が非常に強いですし。(いや、もちろん、日本人だけってのは嘘で、どこの国にはそういうこと言う人はいますが(笑)。「ウヨク的道徳」の持ち主もどこにでもいますし。)


他所の国・土地で他者のために活動する人なんて、100年以上前からいくらでもいたし、ここ数十年なんてごく当たり前で珍しいことなんてまったくないのに。世界中の人間が自国以外の場所でいろいろ活動してんのに。

「日本人なら日本で」って、いまさら何言ってんだか、パラレルワールドかよ、リアルワールドはそんな世界じゃないですよ、いろんな人がいろんな場所でいろいろやってるのがリアルワールドですよ、です。


というか、オリンピック見てたって、日本チーム(どこの国でもそうですが)のコーチに外国人ゴロゴロいるじゃないですか。福原愛やオグシオのコーチは中国人だし、オグシオ・スエマエの日本チームのコーチ・監督は中国人・韓国人だし。頼まれたからという人も、自分から教えたいという人もいるでしょう。日本体操女子のエースのコーチ(日本チームのコーチでもあります)の中国人の方なんて、夫が仕事の都合で日本にたまたま来て、たまたまその選手を見て、自分が教えればもっと強くなるかもと思ったからコーチやってるそうで。


自分の意志で他所の国でなんかしてる外国人なんて無数にいるんだから、いちいち非難調で「○○人なら○○でやれば?」的なこと言うのはほんとくだらないです。人の勝手。


というか、「日本人なら日本でやれば?問題」に気持ち悪いくらいしつこくこだわってる私です(笑)。


2008/08/14 1:00 PM, from 眠胡椒
コメントありがとうございました。
TBが送れない原因は何なのか?分かりませんが・・・・。記事によってのときもあれば、ブログの相性などもあるようです。わざわざ貼って頂き、ありがとうございます。
2008/08/27 10:00 AM, from mezzotint
わざわざコメントすいません。なんなんでしょうね。キーワードの問題なんでしょうか。「セックス」とかダメなんでしょうか。宣伝用と同じ扱いにされちゃったりで。

というか、↑で「ネタ」として書いたことが実際に起こってしまいました。ペシャワール会の伊藤和也さんの事件ですが。とても残念だし、ほんとかわいそうです。
2008/08/28 9:10 AM, from 眠胡椒
トラバどうもです。
ケンカ売るなんてとんでもない。とても興味深くて感心しました。僕もこの文章を書いたあと、「闇の子供たち」は2回くらい見返して、この映画をめぐる様々な言説には色々もやもやしたものがあったので、むしろ「なるほど」とひとりごちましたよ。
誤解なきように言っておくなら、僕は「宮崎あおい」のキャラにムカついていたわけではないです。むしろ、「世間様」がバッシングしている「飛んでいく人」像を、かなりの部分ステレオタイプを経由しつつも、くっきりリアルな人間として描いていく手つきに惹かれたんです。あの文章も、そういうことが言いたかったのですが、拙文で伝わりにくかったようです・・・。
この映画のキャラクターは一見複雑に見えて、かなりステレオタイプ化されているのが特徴だと思います。ペドフィルの描写も含めて。最初から、観客が誘導されている。だからこそオチで突き崩されたときに戦慄できるのです。本当に鮮やかだとおもいます。
だから、この映画を「けしからん反日映画だ」とする人にも、「現実を見つめてください」という人にもまったく賛同できないというか、「おめでたいなぁ」としか思えません。しかし、驚くほどこの映画の感想がそのふたつに収斂してしまっている。ですから、本当に溜飲が下がる思いがしました。長文失礼致しました。
2009/05/08 8:10 PM, from DieSixx
DieSixxさん、丁寧なコメントすいません。というか、いきなり昔のエントリーに変なトラバすいませんでした(笑)。


>僕もこの文章を書いたあと、「闇の子供たち」は2回くらい見返して、

私なんて去年の八月に観ただけです(笑)。レンタルしてまた観ようとしてるんですがいつも貸し出し中(というかネットレンタルなんですが)で。なのに偉そうに書いてすいません(笑)。


>誤解なきように言っておくなら、僕は「宮崎あおい」のキャラにムカついていたわけではないです。

誤解してしまってすいません。


>むしろ、「世間様」がバッシングしている「飛んでいく人」像を、かなりの部分ステレオタイプを経由しつつも、くっきりリアルな人間として描いていく手つきに惹かれたんです。

いや、ほんと、私も、うまいことやるな、と思いました。観てたときから、このキャラ普通にいそうだけどこりゃこのキャラ叩かれるな、と思いました。


宮崎あおいがどっかの新聞(朝日新聞だったような)のインタビューで言ってたのですが、宮崎自身は「恵子の正義」を正しいと素でリアルに信じて演じてたそうです(宮崎自身、女性や子供の人権とか貧困とかNGOとか戦争と平和とかそういう問題にだいぶ関心ある人らしいですし)。

で、できあがった映像を見て、客観的に見るとこの人(恵子)の言動はちょっと微妙かも、傍からはこう見えたりするもんなんだ、と感じたりもしたそうです。ステレオタイプの「ウザい人」を意識的に演じてたわけじゃないようで。


で、だからこそ、実際に宮崎自身がキャラクターの正義を信じて突っ込んでいったからこそ、逆説的に、ステレオタイプ的だけどリアルなウザがられる「自分の正義を信じて突っ込んでいく人」ができあがったのかなと。

実際、リアルに「自分の正義を信じて必死に突っ込んでいく人」ってのは「客観的」にはああ見えたりしますから(笑)。で、私はそれでいいと思うんですよね、と。必死じゃない外野の人からは「なんだこいつ」と見えても、何度も
言ってますが、こういう奴しかやらないしできないし、と。



>この映画のキャラクターは一見複雑に見えて、かなりステレオタイプ化されているのが特徴だと思います。ペドフィルの描写も含めて。最初から、観客が誘導されている。だからこそオチで突き崩されたときに戦慄できるのです。本当に鮮やかだとおもいます。

ほんと同感です。


>だから、この映画を「けしからん反日映画だ」とする人にも、「現実を見つめてください」という人にもまったく賛同できないというか、「おめでたいなぁ」としか思えません。

これも同感です。


ちなみに、これを「反日映画」と盛り上がる人たちには(というか観てないで怒ってる方々が圧倒的多数かと)、もちろん「日本人を悪くいいやがって」みたいな感情もあるでしょうが、やはり昨今の「反日」という表現を使いたがる人たち(ようするにネットのウヨクのみなさま)には、いわゆる児童ポルノ愛好者的な方がけっこう多いせいもあると思うんですよね。児童ポルノ規制反対ですごい盛り上がりますから。

もともと性的表現に対する規制を好むのは右派のはずなんですが(実際そうなんですが)、90年代以降にマンガやネットの影響でウヨクになったみなさま(平たくいえばオタク系)の感覚は、伝統的なウヨクの方々(平たくいえば体育会系)の感覚とはだいぶ断絶してるんですよね。使うネタや論法やレトリックは後者の方々が数十年間蓄積してきたものを前者の方々がそのまま継承してるんですが。
2009/05/09 1:30 AM, from 眠胡椒









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闇の子供たち
 『値札のついた命』  コチラの「闇の子供たち」は、「月はどっちに出ている」や「血と骨」の原作者梁石日の同名小説を「顔」や「カメレオン」の阪本順治監督が脚本も手掛けた8/2公開の衝撃作なのですが、観て来ちゃいましたぁ〜♪阪本監督の舞台挨拶もあったので
2008/08/13 3:53 PM, from ☆彡映画鑑賞日記☆彡
闇の子供たち
梁石日の同名小説を映画化した作品です。 日本新聞社、バンコク支局で、児童買春を取材する記者、南部は、日本人の子どもがタイで心臓の移植手術を受けるという情報を得ます。それは、正式に手続きを踏んだものではなく、闇のルートで行われる手術とのこと。臓器密売
2008/08/13 9:33 PM, from 日っ歩〜美味しいもの、映画、子育て...の日々〜
闇の子供たち
重いっ、重すぎる。日本から心臓移植にからむ臓器売買の情報を入手した南部(江口洋介)は、バンコクで情報収集を続ける。また恵子(宮崎あおい)はボランティアとしてタイにやってきて、ナパポーンが運営するNGOに参加するなかで、幼児買春からの子供救出に関わってい
2008/08/14 9:47 AM, from まてぃの徒然映画+雑記
現代バンコク奇譚〜「闇の子供たち」
大分前に発表になってますので、ご存知の方もいるでしょう。阪本順治監督がメガホンをとった『闇の子供たち』が8月2日、全国順次ロードショー開始です。これは阪本順治監督が梁石日(ヤン・ソギル)の長編小説を映画化したもので、キャストには江口洋介、宮崎あおい、妻
2008/08/15 3:24 PM, from タイまで5,750,000歩
『闇の子供たち』
□作品オフィシャルサイト 「闇の子供たち」□監督・脚本 阪本順治 □原作 梁石日 □キャスト 江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡、プライマー・ラッチャタ、プラパドン・スワンバン 、佐藤浩市、鈴木砂羽、豊原功補、塩見三省、三浦誠己■鑑賞日 8月10日(日)■
2008/08/17 5:33 PM, from 京の昼寝〜♪
闇の子供たち
日本新聞からタイに出向している新聞記者・南部は、タイで行われている臓器移植手術に、人身売買された生きた子供の臓器が使用されてるという情報を入手、取材を開始する。一方、NGO職員音羽は、行方不明の少女を探す内に、少女が児童売春宿で働かされている事を
2008/08/18 6:49 AM, from 5125年映画の旅
『闇の子供たち』@109シネマズ川崎
日本新聞社バンコク支局で、幼児人身売買を取材する記者、南部は、日本人の子供がタイで心臓の移植手術を受けるという情報を得る。知人に金を握らせ、臓器密売の元仲介者に接触した南部は、提供者の幼児は、生きたまま臓器をえぐり取られるという衝撃の事実を知る。取材
2008/08/21 11:38 PM, from 映画な日々。読書な日々。
闇の子供たち・・・・・評価額1650円
熱帯のスラムの淀み湿った空気が、スクリーンを通して客席にも漂ってきそうだ。 幼児の臓器売買、買春というおぞましい現実を描いた梁石日の...
2008/08/24 10:16 PM, from ノラネコの呑んで観るシネマ
「闇の子供たち」映画満足度No.1
8/7に発表された8/1.2に封切りされた映画の映画満足度のランキング「ぴあ映画満足度ランキング」において「闇の...
2008/08/25 10:01 PM, from STILL ALIVE
闇の子供たち 初日は阪本順治監督の舞台挨拶がありました!
    アジアの現実を直視することが、今の私たちには必要なことではないか?   8月23日、京都シネマにて鑑賞。実はこの日は、キム・キドク監督の「ブレス」だけ鑑賞する予定だった。この日の京都シネマはいつになく、物々しさを感じた。人が多いのも一
2008/08/26 4:16 PM, from 銅版画制作の日々
【2008-187】闇の子供たち
人気ブログランキングの順位は? これは、「闇」に隠された真実の物語 値札のついた命
2008/08/30 2:59 AM, from ダディャーナザン!ナズェミデルンディス!!
闇の子供たち★★☆+劇場58本目:犠牲の上に成り立つ命を考える...
臓器売買、それも子供の命が親も知らないままに流されていく‥そんな重いテーマだけどしっかりとした背景を描いてそうだと思って見に行きました。確かに背景はあり、舞台のほとんどがタイであり、興味深く見始めたんだけど‥映画の世界に引き込まれやしないし眠気が襲っ
2008/09/01 8:10 AM, from kaoritalyたる所以
映画「闇の子供たち」
タイの反政府活動は、首相府占拠、支持者の衝突と流血、非常事態宣言と混乱を深め、が、昔からの利権争奪合戦の色合い濃く国民も軍部も冷めている〜 この映画、臓器密売に幼児売買春とテーマは極めて重い、「アポカリプト」の生贄の脈打つ心臓をえぐりとるほど
2008/09/06 4:29 PM, from 茸茶の想い ∞ 〜祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり〜
映画「闇の子供たち」を観た。
何かと話題の闇の子供たちを観ました。闇の子供たち衝撃的な中身だけど、見ておいた方が良い。というような触れ込みを聞いていたので見に行くことにしました。主人公の新聞記者男性がNGOボランティア女性と協力して、タイでの幼児人身売買・売買春の実態に迫っていくと
2008/09/24 11:46 PM, from あややの日誌
【映画】闇の子供たち
▼動機 観ておかないと後悔しそうな映画だったので ▼感想 連鎖を断ち切る勇気はいったい誰が持つべきなのか ▼満足度 ★★★★★☆☆ なかなか ▼あらすじ 日本新聞社のバンコク支局駐在の南部(江口洋介)は、東京本社からタイの臓器密売の調査を依頼される
2008/10/21 9:36 PM, from 新!やさぐれ日記
「闇の子供たち」
以前見た、「ヒューマン・トラフィック」を思い出しました・・
2009/03/06 9:38 AM, from 心の栄養♪映画と英語のジョーク
「闇の子供たち」 DVD
「闇の子供たち」のDVDを見ました〜♪ この映画も、劇場公開してるときに観に行きたい!って思ってたんですけど、観にいけなかったんですよね・・・(^_^;)  この映画の内容が、100%事実だとは思わないけど・・・こんな事もあっても不思議じゃないなぁって
2009/04/09 8:42 PM, from 観たよ〜ん〜
闇の子供たち
渋谷、シネマライズにて PG12ということですが、地上波は無理かも・・・ 値札のついた命 タイ駐在の新聞記者、南部浩行が、若いフリーカメ...
2009/04/23 12:52 AM, from 単館系
闇の子供たち
&nbsp;&nbsp;&nbsp;&nbsp; 2008年/日本 監督:阪本順治 原作:梁石日  出演:江口洋介&nbsp; 宮崎あおい&nbsp; 妻夫木聡&nbsp; 佐藤浩市&nbsp; 鈴木砂羽&nbsp; 豊原功補&nbsp; プラパトン・スワンバーン&nbsp; プライ
2010/06/25 1:34 AM, from 眠る胡椒、走る茄子。

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