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死刑基準




出演:山本耕史 小澤征悦 戸田菜穂 柏原崇 京野ことみ 光石研 柄本明

wowowドラマ。はじまる前だけど。宣伝コピーそのままのドラマだったらやだなと。

「家族が殺されても、死刑反対を言えますか?」ってなコピーですが、なら、「家族が冤罪を訴えながらも殺人犯として死刑判決を受け、そしてあなたも家族の有罪に確信が持てないどころか冤罪を確信してる状況、いや冤罪だということを事実知っている(が証明はできない)状況ですが、それでも死刑賛成を言えますか?はやく死刑執行しろと言えますか?」とかも聞いたらどうかと。


いや、昔、こういうことも書いたけど。

殺人犯全員死刑論
http://sezam.jugem.jp/?eid=1749

そもそも、ほとんどの殺人犯は死刑求刑されないし死刑判決も受けないわけで、と。「家族が」とか「遺族が」とか死刑反対派に「どや顔」で言いたがるあなたは、じゃあ殺人犯全員死刑論をちゃんと訴えますか?と。ワイドショーでワイワイやってる事件にだけ噴きあがってないですか?みたいな。



というかさ、いやさ、確かに「家族が殺されても」ってのは困難な問いで考えるに値する話だけどさ、この手のノリで軽々しくというか「どや顔」で言うのは軽薄な問いにしかならんよ。いや、実際に重い「転向」をした弁護士の方がいるのは有名だけどさ。(そして、家族を殺された方にも死刑廃止運動に関わってる原田正治さんのような方もいる。)

というかさ、「家族が」を問うなら死刑だけでなく他の問題でもどんな問題でもすべて「家族が」と問わなきゃ。

いろんな問題で「家族が」や「自分が」と問うことは大切で、それこそジョン・ロールズの「無知のヴェール」みたいな議論ができるかもしれないけど、死刑の話のときだけ、それも一方の面しか問題にしないで、「どや顔」でこういうこと言うのはねえ。


「正義論」とはまた別に、現実問題というか素朴な直感としては、すべての難問において「当事者」そのものであることは不可能なので(たとえば、自分の子供がソマリアで餓死寸前ではないし、家族が旧ユーゴ戦争で壮絶な死に方をしたわけでもない)、問題への取り組み方についてはある種の割り切りもしょうがない、と苦しいながらも、するしかないところもあるし。この「しょうがない」も己の不作為への開き直りではなかろうか、とまたなやましいわけで。その「しょうがない」はどれほどの葛藤や苦悩がともなったうえなのか。たとえ葛藤や苦悩を経たものであっても、開き直り・居直りの「しょうがない」と結果としては変わらないのではないか、とか。


このドラマ、こういうこともちろん考慮ずみで、宣伝コピーそのままなんてことにはなってないことを期待したい。とりあえず加茂隆康さんの原作のことはまったく調べずに観てみる予定。


観賞後↓

死刑基準 その2
http://sezam.jugem.jp/?eid=2700





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