スコセッシは『タクシードライバー』は大好きだけど他はそんなに思い入れない自分なので、『沈黙』もあんまり期待してなかったのだけど、すごすぎた。長いのに全然飽きる部分がない。地味なのにすごい。最初から最後まで隙がない。すごすぎる。
原作読んだ頃は、遠藤周作の他の小説、たぶん『留学』だったと思うのだけど、フランスに留学中の日本人(遠藤さんモデル?)が結核になって「木の文明の人間には石の文明の世界はつらい」みたいなこと書いてあってうなづいたりもしたんだけど、今、この映画を観ると、昔とはいろいろ違うことを考えた。
「日本の沼地に負けたのだ」みたいな話も、「日本異質論」みたいなことは思わなかった。なんといっても、極右全盛で権力すら握る現代日本なわけだけど、その日本の言論というか思想というか感情というか世相というかそういうのをリードしているというか象徴というかそういう存在の曽野綾子さんがカトリックだし、ネトウヨさんに大人気の麻生さんもそうなわけだし。
お奉行さまがなんか言うたびに「曽野綾子さんや麻生元首相もカトリックですよ!下っ端のあんたよりずっとずっとステイタス上というか日本最上位クラスですよ!」てなった。
というか、曽野さんとかこの映画とかみてどうなんだろう。マイノリティのキリシタンたちの苦しみにシンパシーを抱くのだろうか。それともやっぱ曽野さんらしく、キリシタンたちに対して「分をわきまえろ!迷惑かけるな!」って思うのだろうか。過去にこういうこと語ったり書いたりしたことあるのかもしれないけど、それはそれこれはこれなのだろうか。
そしてやっぱ原作読んだ頃と全然自分の意識が違うのはマイノリティ問題。原作読んだ頃とは感じる切実さが全然違った。すごい今日的な部分を感じながら観た。塚本晋也さんがインタビューで「自分は特定の信仰とかないけど、自分の信念を上から押さえつけられることへの反発はあるからそれを考えながら。信仰とは限らないけどこういうことはいつの時代にもあるから」的な話をしててまったく同意。
そして、モキチの塚本さんがひたすらすばらしかった。みんな言ってるけど『野火』観よう。キチジローは原作の自分の中でのイメージだともっとどうしようもない容姿というかなんといか、窪塚さんだとやっぱどこか凛々しいかんじがあって、自分の中のイメージの「どうしようもなさ」があんまりなくて、そのへん戸惑ったけど、自分のイメージは置いておくと、窪塚さん普通によかったと思う。
ところで、宇多丸さんの映画評を聴いたら、映画の賛否両方のメールを読んでたんだけど、どっちもありがちというかテンプレというかしょーもない中二的というかそういうのでトホホすぎた。
映画が良かったという方は「登場人物たちを善悪で描いてなく受け取り方は観る方にゆだねてるのがいい」とかなんとかで、あーまたそれかよ、みたいな。信仰を理由に拷問処刑しまくってる公権力の人たちの描写を見ても善悪で描いてないとか思っちゃうわけですか。それ歪みすぎでしょう。信仰を理由に拷問処刑しまくってる人たちが悪に見えないって、それただ単に、「日本側」みたいなカテゴリーにシンパシーを抱いたのと、彼らを優秀で知恵を持つ人間として描いてるからでしょう。簡単なバカに描いてないからでしょう。こういうこと言うと「絶対悪かどうかはわからない。絶対悪とすると正義の暴走を招く!」みたいなアレなこと言うんだろうけど、いや、程度問題でしょ、と。あんた、圧倒的に弱い者が圧倒的に強い者たちに拷問虐殺されるの目の前で見たとしても、善も悪もない、とか言うのかと。あんたのこと今ぶんなぐったら悪いのはこっちであんたは悪くないでしょう。そりゃ、ぶんなぐったとしたらもちろん理由はありますよ、あんたの考えがトホホすぎてムカつくって理由が。だけど、あんたの映画のこの程度の感想を理由にぶんなぐったら圧倒的に悪いのはこっちでしょう。
そして、映画が良くなかったという方は「主人公が自分のせいで他人の迷惑になってるのに、自分の正義を振りかざして正義の暴走しててうざかった」みたいなやつ。あーまたそれかよ、と。「正義の暴走して他人に大迷惑かけまくってるのは信仰を理由に拷問虐殺しまくってる公権力の人たちでしょ!なんでそっちは余裕でスルーできて圧倒的暴力の前になすすべもない一人の人間の方が気に入らないって言いたがるのですか...歪みすぎでしょ」と。
いや、ほんと、両方ともおなじみすぎて創作かよと驚くくらいなんだけど、宇多丸さんだかスタッフだか知らないけど選んだ人はこの2つをどういう考えで選んだんでしょうか。晒しものにしたのか、良いと思ったのか、まあ、良いと思ったんだろうな。
あと、「日本でなぜキリスト教が...」的な問いだけど、超ド素人の自分の適当な想像だと、「日本の文化はー」とか「日本人の考え方はー」とかそういうのは関係なくて、当時の権力者次第だったんじゃね?と。映画の中で主人公も「いや、弾圧されるまでは日本でもキリスト教栄えてたじゃん!」と言ってたけど、実際そうで、もし江戸の将軍様が「みんなキリスト教にしよ!」って気まぐれでもなんでもいいからやって何代か続いてたら、普通に今でも少なくとも50%くらいはキリスト教徒だったんじゃね?と。余程の大弾圧がその後になかったとしたら。ようするに運次第じゃね?と。というか、江戸の将軍様が「みんなキリスト教にしよ!」ってやらなくても、そもそも、江戸時代の弾圧がなかったら、権力者が放置してたら、九州はもちろん、日本中でかなり栄えたんじゃね?と。
]]>KARAが「反日」とかいう話。
http://sezam.jugem.jp/?eid=2701
KARAにはまって『けいおん!』の意味がわかった。
http://sezam.jugem.jp/?eid=2702
何が素晴らしいってさ! (そりゃ全部だけどさ)
なんなの?この、とってもアホっぽい振り付けは?、笑いとまりませんぜ
カワイ過ぎるしょ!、ってかもう抱きしめたいくらい「ザ・KARA」な感じでしょ!
こんな振り付けがバシっとはまるのって、きょうび、KARAくらいのもんでしょ?
この振り付けのアホっぽさは、スンヨンのカラスの鳴き声モノマネと、ヒジョ〜によく似ています
「アホさ余って、キュートさ100倍」・・・そんな感じです
http://matsuyama-k-pop.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/karagogo-b2c5.html
『GoGoサマー』の振り付けに関してです
あのとっても面白い振り付け、
「KARA」+「パラパラ」=『カラパラ』ですって!
素晴らしいですね、安直この上ないとはこのことを言うのでしょう
ひねりナッシングなナイスなネーミングセンスです
誰が言い出したのでしょうか?
やはり「ニコル」あたりが嬉しげに言ったのでしょうか?
それとも「スンヨン」がいつものドヤ顔で言っちゃったのでしょうか?
「ギャル系」って表現は「いかがなもの?」と思いましたが、、、
まぁ彼女たちが「若い」ってことは違いないですもんね
ま、何系でもいいさ、何系でも・・・だって「KARA」だもの・・・
あと、この動画みて、何を思ったかってさ・・・
あの「ラブワゴン」に乗って、一緒に海に行きたいよね!
なんならその後、きゃっきゃ言いながら花火もやりたいよね!
で、ラストはBOXあたりで、皆で「カラパラ」、踊りたいよね!
http://matsuyama-k-pop.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/kara-4125.html
もちろん、「Coming up」のところさ! (02:35〜)
小刻みに上下してるもんだからキャプチャリング不可ダ
でもココは静止画像じゃ絶対伝わらないね
ホンの2秒もないくらいなんだけど、強烈すぎるのね
事務所指示だとしても、だよ、、、そんな次元の話じゃないぜ、こりゃ
人から言われて出せる表情じゃないよね
こんな表情でパフォってるアイドルって・・・古今東西、いないでしょ?
http://matsuyama-k-pop.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-9026-1.html
KARAが「反日」とかいう話。
http://sezam.jugem.jp/?eid=2701
澪―ギュリ
律―スンヨン
紬―ハラ
梓―ニコル
唯―ジヨン
澪―ギュリ
唯―スンヨン
律―ハラ
紬―ニコル
梓―ジヨン
KARA-STEP
http://www.youtube.com/watch?v=zYoYoBtLqOY
KARA デビューから今までのストーリー日本語 PART1
http://www.youtube.com/watch?v=9ajbbPUtRtM
上のが削除されてたんでこちら。
KARA ミラクルストーリー
http://vimeo.com/19160902
http://www.nicovideo.jp/watch/sm13409796
KARA デビューから今までのストーリー 日本語 PART2
http://www.youtube.com/watch?v=D9DEqW-PKQk
KARA ファンミーティング歴史 日本語
http://www.youtube.com/watch?v=SC5ZSqA4QLE
KARAや少女時代を見て、
「スゲー綺麗だなー、、可愛いなー」
って思っても
「こいつらも反日で陰ではなに考えてるか解んねぇな、、」
と冷静になって考えてしまうのは自分だけでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1468089119
「反日」ってなによ?少しは考えてよ。
たとえばさ、俺はアメリカのイラク戦争に大反対だったし、この前の国連総会でのオバマ大統領のパレスチナ問題への言及内容は最悪だと思ったし、まあ「アメリカのやっていること」にはいろいろ文句がある。ものすごく怒ってる。
昔の話でいえば、たとえば日本への原爆や空襲の大虐殺はひどすぎで最狂クラスの戦争犯罪で、奴隷制度や人種差別もあたりまえだけど論外だと思ってる。
まああたりまえだけど「アメリカ」について批判なり文句なり言えっていわれたら永遠に言える。政治や歴史だけでなく社会や日常についても。
俺は「反米」なの?俺は「アメリカが嫌い」なの?
だけれども、アメリカの映画や音楽には素晴らしいものがたくさんあると思うし、アメリカの知識人からいろいろ学んだし、アメリカの民主主義・人権思想の理想(現実はまあアレかもしれんけど)や公民権運動の実践とか普通に尊敬している。
というか、そもそも俺はアメリカで大学・大学院教育受けたわけで。しかも奨学金がっぽり出してもらって。「アメリカ」に超感謝してる。多くの「アメリカ人(だけじゃないけどもちろん)」の世話になった。
まあとにかくさあ、「反日」がどうだとか「○○国が嫌い」とかアホなことベタに言う前にさあ、少し考えてみようよ、と。
あとさ、「反日教育」みたいはアホな表現もそこら中にあふれてるけどさ、やってるとしたら「歴史教育」でしょって。「反」がつくとしたら「反大日本帝国教育」でしょって。
世界中で「反ナチスドイツ教育」が行われてるように。世界中で「反独教育」が行われているのではなく。
そうそう、「反大日本帝国」的なシーンが少しでもあると「反日映画」みたいな表現使い出すノリあるけどさ、んなこといったら世界中「反独映画」だらけじゃねーか。で、もちろん世界中にあふれてるのは「反独映画」でなく「反ナチスドイツ映画」なわけで。
どうせ陰で日本の悪口言ってんに決まってるだろwww
そりゃ言ってるに決まってるでしょう。言ってなかったら人間としてどっか壊れてるんじゃないかと逆に心配になりますよ。
たとえばね、私はアメリカに住んでましたけど、日本人同士、外国人同士(非アメリカ人同士)集まりゃ、そりゃもう「アメリカ」や「アメリカ人」の文句言いまくってましたよ、みんなで。
ですけどね、それはみんなお互いがレイシストでない、本気で「アメリカ」や「アメリカ人」を(ひとくくりにして)憎むなんてアホなことするような人間じゃないということを了解した上でのことです。ヘイトスピーチを心底軽蔑する者同士の「愚痴」であり「笑い話」です。
外国滞在はじめてすぐは、その国や社会の嫌なところばかり目につき、自国の好きなところをいろいろ思い出して懐かしくなるものです。たまにこういう状態の まま帰国してアホな国粋主義者になる人もいますが、まあたいていの人は「どこの国・社会にも自分にとって嫌なところも良いところもあるよな」くらいの常識 的な感覚に落ち着くものです。
そしてこういう常識的な感覚をお互いが持っていると了解した上での「愚痴」や「文句」を外国人同士やるわけです。
というかですね、あなたは自分の周りの人やモノやコトについて文句言わないんですか?愚痴言ったりしないんですか?
恋人について、家族について仕事について、学校について、自分の街について、自分の家について、自分の自転車について、まあなんでもいいですが、文句言ったり、悪口言ったり、愚痴ったりしないんですか?
悪口言ったり、文句言ったり、愚痴ったりする対象のものはすべて憎むものですか?そうじゃないですよね。自分にとってとても大切な人やモノやコトについてだって悪口言ったり文句言ったり愚痴ったりしますよね?
そして、そういう悪口や文句や愚痴がどういう性質のものか(対象を憎んでいるのかそうでないのか)はその人(の言動や言動のトーン)を見ていればわかりますよね。
たとえば、「嫌韓レイシストによるヘイトスピーチ」と「普通の常識人による韓国に関しての文句・愚痴」(常識人は場所や場合をわきまえますので、嫌韓ヘイトスピーチと混同されるような状況ではやりません)は区別できるように。
というか、↑のエントリーでも書きましたけど、KARAの人たち、韓国のテレビ番組で日本の話ほんと楽しそうにガンガンしてますよ。
wowowドラマ。はじまる前だけど。宣伝コピーそのままのドラマだったらやだなと。
「家族が殺されても、死刑反対を言えますか?」って なコピーですが、なら、「家族が冤罪を訴えながらも殺人犯として死刑判決を受け、そしてあなたも家族の有罪に確信が持てないどころか冤罪を確信してる状 況、いや冤罪だということを事実知っている(が証明はできない)状況ですが、それでも死刑賛成を言えますか?はやく死刑執行しろと言えますか?」とかも聞 いたらどうかと。
いや、昔、こういうことも書いたけど。
殺人犯全員死刑論
http://sezam.jugem.jp/?eid=1749
そ もそも、ほとんどの殺人犯は死刑求刑されないし死刑判決も受けないわけで、と。「家族が」とか「遺族が」とか死刑反対派に「どや顔」で言いたがるあなた は、じゃあ殺人犯全員死刑論をちゃんと訴えますか?と。ワイドショーでワイワイやってる事件にだけ噴きあがってないですか?みたいな。
と いうかさ、いやさ、確かに「家族が殺されても」ってのは困難な問いで考えるに値する話だけどさ、この手のノリで軽々しくというか「どや顔」で言うのは軽薄 な問いにしかならんよ。いや、実際に重い「転向」をした弁護士の方がいるのは有名だけどさ。(そして、家族を殺された方にも死刑廃止運動に関わってる原田正治さんのような方もいる。)
というかさ、「家族が」を問うなら死刑だけでなく他の問題でもどんな問題でもすべて「家族が」と問わなきゃ。
いろんな問題で「家族が」や「自分が」と問うことは大切で、それこそジョン・ロールズの「無知のヴェール」みたいな議論ができるかもしれないけど、死刑の話のときだけ、それも一方の面しか問題にしないで、「どや顔」でこういうこと言うのはねえ。
「正 義論」とはまた別に、現実問題というか素朴な直感としては、すべての難問において「当事者」そのものであることは不可能なので(たとえば、自分の子供がソ マリアで餓死寸前ではないし、家族が旧ユーゴ戦争で壮絶な死に方をしたわけでもない)、問題への取り組み方についてはある種の割り切りもしょうがない、と 苦しいながらも、するしかないところもあるし。この「しょうがない」も己の不作為への開き直りではなかろうか、とまたなやましいわけで。その「しょうがな い」はどれほどの葛藤や苦悩がともなったうえなのか。たとえ葛藤や苦悩を経たものであっても、開き直り・居直りの「しょうがない」と結果としては変わらな いのではないか、とか。
このドラマ、こういうこともちろん考慮ずみで、宣伝コピーそのままなんてことにはなってないことを期待したい。とりあえず加茂隆康さんの原作のことはまったく調べずに観てみる予定。
「死刑制度は、個人の恨みを国が代わってはらすためためにあるんじゃない。かけがえのない命を奪った罪には、かけがえのない命を差し出すことでしか、つぐなえない。多くの日本人が、死刑制度を支持しているのは、それが理由だと私は思います。」
日本では毎年約100万人が 死亡している。ところが、その中で明らかに病死以外の「異状死」とみられる15万人以上の遺体が、正確な死因がわからないまま処理されている。このことが “事故や事件の見逃し”という事態を招き、防げたはずの更なる犠牲者を生み出す「負の連鎖」を生み出している。齋藤愼也さん(当時29)は23年前、北海 道北見市のアパートで死亡した。解剖されずに下された死因は「溺死」。しかし、父・武雄さんはこれを信じてはいない。死の直前、愼也さんが周囲にガス湯わ かし器の不調を聞いていたことと、5か月後、同じ部屋で男女2人が一酸化炭素中毒で死亡したからだ。武雄さんは今も心の整理がつかず苦しんでいる。死因究 明制度が抱える問題を検証し、目指すべき道を探る。
http://www.ntv.co.jp/document/back/201109.html